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バカおばさんのドイツ語の先生

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 1996年9月から近所にあるドイツ語教室に通ったが、そこの日本人おばさんのドイツ語の先生はナチスドイツのことを全く知らない人だった。

 

 

僕は大学時代も第2外国語でドイツ語を勉強していたけど、それだけでは十分ではなかったので、ドイツ大使館傘下のゲーテインスティチュート公認のドイツ語教室が仙台市内の近所、しかも徒歩10分以内という距離にあったのでそこに通うことにしたのだった。写真上は仙台城から見た仙台市内の様子。僕の家もドイツ語教室もこの写真の中にある。



1996年の9月にそのドイツ語教室に行ってみると、上智大学文学部を出た後、ドイツに留学してドイツ人男性と結婚したという60歳くらいのおばさんがそこの教室長を務めていた。僕は当然ながら、「1995年1月にミュンヘンに行ったけど、ドイツ人のおじいさんとおばあさんの隣に座ってナチスドイツ軍の戦記を読んでいたら、おじいさんもおばあさんも日本人がドイツ軍の戦記を読んでるのを見て、急に何かを話し出した。絶対に第二次世界大戦の話をしていたのだと思う」とおばさんの先生に言ったら、「そんなドイツ人はごく少数で、普通は第二次世界大戦の軍事同盟の話をしたら、ぶん殴られる」と答えた。一方で彼女はゲーテ、クラシック音楽、ロマンチック街道がどうのというような、僕にとってはあまり興味のないドイツの話ばかりをしてきた。

それで、Tというドイツ人の30歳の男の先生がいたので彼に、「僕は子供の頃からドイツ軍戦車の模型、メッサーシュミット戦闘機の模型などを作るのが好きなので、ドイツに興味を持ちました。ドイツ映画『Uボート』は30回以上見ました。ロンメル、グデーリアンといった将軍が大好きです。第二次世界大戦の日本とドイツの同盟関係について研究したいです」と言った。やはり、Tさんもちょっと困惑していた顔をしていたが、「Uボート」「ロンメル」という言葉を聞くとうなずいていた。Tさんは別にナチスドイツの専門家ではないが、彼の持っていたドイツ語教科書を見ると、ヒトラー、スターリン、独ソ戦に関することも書いてあって、彼が担当する上級者向けのドイツ語教室では第二次大戦いついての授業もあったようだった。


一方で上智卒のおばさん先生は、ゲーテ、クラシック音楽、ドイツの芸術とかいったことばかり教えていて、僕に対しては「戦争の研究をする人に私のドイツ語で学んでほしくない」などと言って、嫌みばかりを言ったというとんでもないバカ女だった。

 

でも、Tというドイツ人男性の先生は僕がナチスドイツに詳しいことを評価してくれて、担当するドイツ語上級者向けの授業でもナチスドイツと第二次大戦について教えていた。



それで、1997年正月にベルリンに兄と旅行をした時には、シュタウフェンベルク大佐を始めとするヒトラー暗殺未遂事件の犯人たちが処刑された場所である、旧ベンドラーブロック(今はドイツにおける反ナチズム抵抗記念館になっている)にも行ってきた。それで、ベルリンの地図を見て僕はすぐに気づいたことがあった。旧ベンドラーブロックにはシュタウフェンベルク通りという名前がつけられており、ドイツ軍が降伏したドイツ・ロシア博物館の近くにはトレシュコウ通りがあった。また、ヴィッツレーベン駅というのもあった。それで、ドイツ語教室で西ベルリン出身のTさんに地図でこれらの場所を指しながら、「これらの通りと駅には、7月20日のヒトラー暗殺未遂事件に参加したドイツ軍将校たちの名前がつけられてますね。僕はドイツ軍に詳しいからすぐにわかりました」と言うとTさんは嬉しそうに頷いて、「はい、そうです。ドイツには反ヒトラー派の軍人の名前をつけた通り、公園とかたくさんあります。ロンメル通りはベルリンにはないけど、他の都市にはあると思います」と、ちょっと興奮した口調で言った。このように上智卒のゲーテ、クラシック音楽の話しか出来ないおばさん先生以外のドイツ人は、けっこう僕のドイツ軍研究を評価してくれたのだった。


その後、1997年9月にムンスター戦車博物館、ヒトラーの山荘があったベルヒテスガーデン、ドイツ海軍記念館を一人旅で訪れた旅行の後には、「どこのドイツの町に行っても、ナチスドイツ軍の研究をしている日本人の青年を見ると、ドイツ人の特にお年寄りたちが歓迎してくれた。どこの町でも、『戦後生まれなのに、ナチスドイツにとても詳しいとは本当に素晴らしい日本人の若者だ』と言われた」と実際にあったことを、ドイツ語教室で言っても、上智卒のおばさんは「嘘ですよ、そんなこと!あるわけがない!ドイツ南部のネオナチの右翼団体の中に、たまにそういう老人がいるだけとしか聞いてません!」と言って、僕が元ドイツ兵のおじいさんを戦車博物館で写した写真を見せても否定したのだった。

 

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ドイツ人家族にホームステイした時に、ナチスドイツについて何も知らなくてロマンチックなことしか語らないおばさんの先生の話をしたら、主人と奥さんは失笑していた。そして、「その女は作曲家のバッハのようなかつらを被っていなかったか?」と言った。

 

それで、今までに何度も僕のブログ日記に書いたように、シュツットガルト近郊に住むH家に1999年春に3か月間ホームステイをしたのだが、H家の主人と奥さんに上智卒の馬鹿おばさんの先生の話をした。
「僕の家の近くにドイツ語教室があって、そこに1年ほど通ったのですが、そこの教室は本当につまらなかったのです。ゲーテ、クラシック音楽、ドイツの他の芸術の話しかしないバカおばさんが先生をしていたので、例えば、フランクフルトというと『フランクフルトにはゲーテの生家があって、ゲーテ街道が始まっていて・・・』という話というようなロマンチックな話しかしないんです。僕が『フランクフルトというと金融市場があって、ドイツ一の金融街で・・・』というような話をすると、すごく嫌がるんです。もちろん、日本とナチスドイツの軍事同盟の話なんかすると、『出ていけ!私のドイツ語教室で戦争の話なんかするな!』と怒鳴って怒り出すんです。でも、他のドイツ人の先生たちは、『Gさん(僕のこと)が言ってる第二次大戦での軍事同盟は日独関係では重要なことだよ。別に避けるべき話題ではないよ』と言って、弁護してくれましたけどね」
こういう話をすると、H家の主人と奥さんもゲラゲラと大いに笑って、
「ハハハハハ!それは本当にバカ女だな。Gさんの言う通り、ドイツ語教室で日独同盟の話をするのは避けて通れないことであり、当然のことだ。その女は頭に”ペルケ”を被っていなかったか?」
と主人は僕に質問した。
「”ペルケ”って何ですか?」
「18世紀、19世紀初めに流行した音楽家が被るかつらだよ。ハイドン、バッハのような音楽家なんかが被っていたんだよ」
「まあ、ドイツ語教室では被っていなかったけど、家では家族みんなで被っているんじゃないですかね」
「そうに違いないよ」
こう言って、H家の主人と奥さんはロマンチックなテーマしかドイツ語教室で話をしない、上智卒のバカおばさんドイツ語先生のことを失笑したのだった。写真上はバカおばさんが大好きなゲーテの写真。でも、僕はドイツ軍の戦記を読んだことがあっても、ゲーテの本を読んだことはない。


仙台のような地方都市の場合はドイツ語教室は1か所しかないので、そこの先生が左翼思想だとナチスドイツの話など絶対に出来なくなる。東京大阪のようにドイツ語教室が何か所もある大都市が羨ましい。

 

 

ところで、ここには田舎、地方都市の人間関係、興味などの怖さがある。僕がもし、首都圏、関西、中京地区(名古屋の辺り)の人間だったら、こういう大都市ではナチスドイツ軍のリエナクトメント、サバゲー、AFV模型を作る人たちのサークル、また、ナチスドイツ軍のレプリカ軍服を販売してる店などもあるし、大学でもナチスドイツの研究が盛んだから、僕のように「ナチスドイツ軍のことをもっと知りたくて、ドイツ語を完璧にまっスターしたいんです」ということは健全な勉強目的と見なされるし、僕と同じような動機でドイツ語教室に来る人もけっこう多い。


しかし仙台のような田舎とまでいかなくても地方都市では、ナチスドイツ軍の軍服を売っている店もないし、AFV模型を作る人の参加人数も少ないので、「ナチスドイツを研究するためにドイツ語を勉強したい」と言っても、ここに書いてある上智卒のバカおばさんがドイツ語教室で独裁者としてふるまっているので、「そんなネオナチ育成のようなことはしたくない」と言って、ドイツ語教室に通うのを拒否することがあるということ。これが、東京、大阪、名古屋のような大都市ではあり得ない地方都市独特の視点の狭さ、学問研究においての視野狭窄である。軍事学を学んでいる人=軍国主義者のように誤解するバカが多いのである。これに対しては地方都市で仲間が少なくてコツコツと軍事マニアをしてる人なら、嫌というほどよくわかるだろう。