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僕は貴族趣味の文化遺産には興味がない

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ドイツの観光地としてバイエルン南部にあるノイシュヴァンシュタイン城が有名だが、僕はこのお城には興味がない。理由はこのお城は精神病になったルードヴィッヒ2世というバイエルン王国の最後の王様が、厳しい国政から現実逃避するために建てたお城だからである。

 

 

僕は今までにドイツに約1年間ほど滞在したが、まだ一度もロマンチック街道にもノイシュヴァンシュタイン城にも行ったことがないし、これからも行くつもりはない。理由というのは、特にノイシュヴァンシュタイン城が建てられた理由を聞いたら実にくだらないと思ったから。写真上はノイシュヴァンシュタイン城。

 

ノイシュヴァンシュタイン城は19世紀にバイエルンの国王だったルードヴィッヒ2世の命令で建てられたが、この王様はワーグナーが大好きで彼と交流があった王様だが、内政軍事などのバイエルン国王としての仕事は全くダメだった。1866年に普墺戦争が起こり、1870年に普仏戦争が起こって、バイエルンがドイツ帝国の一部に組み込まれるという激動の時代に、王様としての公務に嫌気が差して精神病となり、親友のワーグナーの音楽の世界にのめり込んで、バイエルン王国の大量の財産をつぎ込んで、ノイシュヴァンシュタイン城のようなワグナーの音楽に登場する建物を建築した。当然、このお城を建てた費用はバイエルン国民が働いて払った税金と、それまでのバイエルン王たちが集めた資材を使って作られている。だが、このお城は精神病の王様が現実逃避のために建てたのであって、それ以外には役に立っておらず、当然、当時のバイエルン国民にはルードヴィッ2世もこのお城も不人気だった。でも、ルードヴィッヒ2世が死んだ後に観光資源として役には立っている。しかし、僕はこういう貴族趣味のお城には興味がない。詳しいことは、ノイシュヴァンシュタイン城をウィキペディアで調べればわかる。

 

 

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日本の場合はドイツのノイシュヴァンシュタイン城のような建物は、8代足利将軍の足利義政が建てた銀閣寺である。義政は茶道家としては一流だったが、本業の政治に関してはは全く無能であり、彼が無能であった故に応仁の乱が起こって戦国時代が始まってしまった。

 

 

歴史に詳しい人なら、このノイシュヴァンシュタイン城と全く同じような文化遺産を思い出すだろう。それは、京都の東山にある銀閣寺である。

 

この銀閣寺も足利幕府の8代将軍足利義政が、現実逃避のために建てたお寺である。8代将軍j義政は将軍に就任した時から政治にはあまり興味がなくて、趣味である茶道ばかりしていた将軍である。茶道家としては彼は一流だったらしいが、政治軍事を行う将軍としては全く無能であり、足利義政に代わって管領職、守護職にあった大名たちが政治を行うようになり、段々と将軍の力は弱まって管領と守護の力が強まっていった。危機感を感じた足利家では、義政を隠居させて彼の息子か弟に跡を継がせることを考えるようになり、これを原因として管領の細川家と山名家が総大将となって、1467年に京都で応仁の乱の戦が始まってしまった。ここから戦国時代の乱世の幕開けになった。

 

足利家では将軍の義政に将軍としての公務をするように何度もお願いしたが、彼は政治軍事には無関心で、足利家の財産を使って銀閣j寺を建てて茶道をする日々を過ごした。この頃の京都の文化を東山文化という。だが、文化は残したものの、将軍としては義政は全く無能であり、戦国時代が始まる原因を作てしまった。まあ、足利家、徳川家のような将軍家は世襲制なので、初代の将軍が優秀だとしても、8代目くらいになると無能な子孫が現れるのは仕方がないのだろう。これが封建制度時代の世襲制の限界といえる。写真上が足利義政が建てた銀閣寺。確かに美しいお寺だろうが、建築された当時は民衆からも他の大名からも評判が悪かったらしい。

 

 

それでは、金閣寺の方はどうかというと、こちらも3代将軍足利義満が自分と足利家の力を世に示すために建てたお寺であり、建てられた当初はあまり評判が良くなかったらしい。「武士たるもの、政治軍事のことを第一に考えないといけないので、義満が建てた金のお寺などは貴族趣味で武士道に反する」と言って、厳しく批判する武士と僧侶もかなりいたようだ。

 

義満はそれまでの南北朝に分かれて争っていた天皇家の争いを終わらせて、また、戦にも何度か勝って足利家の支配を確立させているので、無能な将軍ではなかった。しかし、人生の最後の頃には思い上がって金閣寺を建てたりして貴族のように贅沢な生活を送ったので、彼の晩年の人生は歴史家にも非難されてる。

 

 

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上に書いたようなことをフェイスブックに書いてドイツ人たちに教えたら、「ほとんどの文化的建物は、当時の権力者の命令で建てられているから貴族趣味じゃないか」と言う人がいた。「京都の清水寺、奈良の大仏などは民衆の幸福な生活の願いがこめられてるので、貴族趣味ではない」と僕は教えた。

 

 

ここまで書いたようなことをフェイスブックに書いて、僕が交流をしているドイツ人の人たちに紹介をしたら、当然ながら「そんなことを言ったら、日本とヨーロッパにある中世から近世のお城、教会、お寺などの文化的建築物は、ほとんどが当時の貴族と国王の命令で建てられたのだから、貴族趣味の建物になるのでは?当時の日本とヨーロッパは封建時代だったから、貴族趣味の建物が多いのは仕方がない」という意見があった。

 

それに対しては僕は、「京都の清水寺、奈良の東大寺の大仏、山形県にある山寺などは純粋に『みんなが平和に幸せに暮らせますように』という信仰心から建てられたので、決して貴族趣味ではなくて当時の民衆にも受け入れられた。そういう文化遺産を見るべきだ」と僕は答えた。

 

また、一方で歴史に詳しいドイツ人は、「封建制度でのお城、教会、お寺などの建築となるとどうしても貴族、国王、日本の大名などが大金と資材を払う必要があるので、徳川家康の墓所である東照宮のように、建てた人と家族の権威を示すようなものになる。やはりい大金がないと文化財は建てられないからね」という意見を書いて、賛同をしてくれる人もいた。

 

 

僕はこんなことを書いてるけど、別に共産主義者ではない。ただ、世界遺産などに登録されている中世と近世の美しいお城、教会、お寺などの一部は当時の貴族、王様などの支配階級の力を示すために建てられたことは事実なので、それらの建物が建てられた理由を聞くと、ガッカリすることもけっこうあることを知ってもらいたい。