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東日本大震災の時にドイツ美女たちから激励してもらった

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10年前の東日本大震災の後に、ドイツの大学で日本学を勉強している女子大生たちにドイツ語で、「被災地の仙台に住む日本人独身男性ですが」とメッセージを送ると、快くメッセージを返して交流してくれた。

 

 

この日記は、僕が2011年3月11日に東日本大震災があってから50日ほど後に、他のブログに書いた文章です。この頃は、英語かドイツ語で「僕は仙台に住んでる40代の独身男だけど、地震と津波の後はとても不安なんだ」とブログに日記を書くと、多くのドイツ美女とすぐに友達になれた。さらに、彼女たちにメッセージを送ると返事の励ましのメッセージをもらえた。(笑)上の写真の女性は、イツの大学で日本語と日本学を学んでる女子大生(1)。

東日本大震災は第二次世界大戦後の最悪の日本の危機なので、当然、世界各地での[PRAY FOR JAPAN](日本のために祈りを)という動きも活発になっていた。そして、支援、義援金もどんどんと送られていた。

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僕は当時は既にアラフォーのおじさんだったから、20代前半の彼女らの恋愛対象ではなかっただろうが、やはり若い女性からの激励は本当に嬉しかった。(笑)


僕に対して個人的に支援を送ってくれたのは、他のブログで友達になったドイツの20代の美女たちだ。彼女たちは、みんな、日本語を勉強している日本びいきのドイツ美女なので、地震があった日には、当然、日本と日本人を心配するブログ記事、動画などをアップしていた。だから、日本語、英語、ドイツ語を話す僕がメールを送ると、歓迎してくれた。まあ、言葉がしゃべれるとこういう時に役に立つ。(笑)上の写真はドイツ人女子大生(2)。彼女は地震があった時は千葉県の大学に留学していて地震後も日本に残りたかったそうだが、ドイツ大使館の説得でドイツに一時帰国したという。

 

僕を励ましてくれたドイツ人女子大生たちは、多くが20代前半の美女だから、恐らく、(当時アラフォーの僕にとっては)恋愛対象にはならないかもしれないが、まあ、ドイツ美女とメールを交換すると、けっこう勇気をもらえる。というか、独身の男にとっては最高の励ましだった。(笑)

 

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僕がドイツ語でメッセージを送ると、「津波に襲われた仙台市に住む日本人からメッセージが届いて本当にびっくりした。ドイツの報道では、仙台市ではものすごい被害が出てると報道されてるから」と驚いていた女性もいた。

 

 

あるドイツ人美女に、
「仙台に住んでいるけど、地震と津波を生き延びた。家も壊れてないし、まあまあ普通の生活を送っている」
という趣旨のメッセージを送ると、彼女はかなりびっくりしたようだった。
「ドイツの報道では、『仙台では市民の数万人が死亡、負傷して、さらに、近くの原発が爆発する危険性があるので、大パニック状態』ということだったから、仙台に住んでいるあなたからメッセージが来た時は、本当に驚いたわ。大被害を受けた仙台から地震の3日後にメッセージが来るなんて、予想もしていなかった。でも、あなたのメッセージによると、仙台でも元気な人がかなり多いようなので、安心したわ。ありがとう」
というような、返事を彼女は僕に送ってきた。他のドイツ人女性の反応も、
「仙台でも、けっこう無傷で元気な人が多いのね。安心したわ」
というようなものだった。上の写真はドイツ人女子大生(3)。

 

また、ヴィーン大学で日本学と医学を学ぶjオーストリア人女子大生は、

「私は日本の仙台に数年前に観光旅行で行ってホテルに泊まったことがあるけど、そのホテルの従業員の人たちは恐らく今回の地震で亡くなったと思います」

ということをブログに書いていた。それで僕が彼女にドイツ語で、

「君が泊まったホテルは仙台の海岸沿いにあったの?それとも内陸部の中心街にあったの?」

と質問したら彼女は、

「内陸部の中心街にあった」

と答えたので、

「中心部は津波の被害がなくて地震で建物が倒れてないから、死者はゼロだよ」

と僕が教えたら彼女は安心していたようだった。

 

なぜ、このような誤解が起こったのかというと、地震と津波が起こってから約1か月間は日本の東北地方と関東地方太平洋側の危険度は国連によって、「アフガニスタン、イラクと同じレベル」にまで引き上げられており、「緊急を要する場合以外の渡航は控えるように」と、各国政府から警告されたいたからである。東北大学法学部で勤務していたドイツ人友達のSも一度は妻と子供とドイツに避難したのだが、まだ東北大学との仕事の契約が残っていたので、家族と日本領事館とよく相談してから仙台に帰ることに決めたのである。

 

アップした写真は、地震の後にメッセージを交換して交流してくれたドイツ人美女たちの顔写真。当然、個人情報なので名前は出せない。みんな、ドイツの大学で日本語を学んでいる女子大生で、一度は日本に来たことがあるし、日本の大学に留学した女性もいる。