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ニュルンベルクにあるナチス党大会会場の廃墟

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ドイツ南東部のニュルンベルク市にあるナチス党大会跡地には2回行ったことがある。ここでは1934年から38年まで約10万人のナチス党員が集まって、ナチス党大会が開かれた。

 

僕は1999年春と2012年秋に、ニュルンベルクのナチス党大会跡地に2回行ったことがある。ここは今では「ツェッペリン広場」と呼ばれていて、ナチス党の幹部が立っていたひな壇の建物は今では「ナチズム恐怖政治の博物館」になっている。上の写真は1934年から1938年まで開かれたニュルンベルクでのナチス党大会の時に、ヒトラー、ゲッベルス、ヒムラー、ゲーリングなどのナチス党幹部が座っていたひな壇である。

 

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この写真はひな壇の中央部、つまりナチス党幹部が座っていた場所を写した写真。1934年から1938年までの党大会の時には、悪名高いナチス党幹部が確実にここに座っていた。

 

 

ナチス党大会ではヒトラーとゲッベルスの演説、ヒトラーユーゲントとドイツ少女同盟のダンス、マスゲームなど、ナチス党が演出した多くの催し物が行われた。ナチス党員の数名はヒトラーの親衛隊に入って、ホロコーストなどの戦争犯罪に協力した。

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これは1937年のナチス党大会の様子。約10万人のナチス党員が国中から集まってヒトラーとゲッベルスの演説、ヒトラーユーゲントとドイツ少女同盟のダンス、マスゲームなどの催し物に熱狂した。日本でも戦争中の南京陥落、シンガポール陥落の時などに大勢の国民が日本中の街の中心部で提灯行列をしたから、似たような雰囲気があっただろう。

 

このナチス党大会に参加していた者の内の数名は、今のドイツでは「ヒトラーの私兵」と定義づけられている親衛隊に入って、悪名高いホロコーストに協力などの働きをした。つまり、アウシュビッツ、ダッハウなどの強制絶滅収容所の看守などになって、アンネ・フランクのようなユダヤ人を始めとする劣等民族の虐待を行ったのである。

 

ナチス党大会跡地は今では「ツェッペリン広場」と呼ばれており、ナチス時代の恐怖を伝える博物館、大きな公園として使用されている以外は巨大な廃墟となって残っている。「ナチスドイツ時代の恐怖を今に伝えたい」というドイツ政府の思いがあるのだろう。

 

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写真はナチス幹部が座っていたひな壇から、1FCニュルンベルクのスタジアムを見た風景である。ナチス党大会が開かれていた場所は今は「ツェッペリン広場」と呼ばれており、ナチスドイツの恐怖政治を伝える博物館、大きな公園として使用されている以外は、ほとんどの敷地はナチス時代の面影を残す広大な廃虚となって残っている。日本だったら100万以上の人口が住むニュルンベルク市の中心部に近い場所だったら、ショッピングモール、テーマパークなどを戦後に建ててビジネスをするだろうけど、恐らくドイツでは「ナチスドイツ時代の恐怖政治を後世に伝えたい」という思いがあるのだろう。

 

この「ツェッペリン広場」へのアクセスはとても良くて、ドイツ鉄道のニュルンベルク中央駅から電車に乗って「ドゥッツエンド池」という駅で降りると、徒歩10分ほどで着く。路面電車でも行ける。ドゥッツエンド池というのは、ニュルンベルクのナチス党大会のために建設された人工池の名前である。さらに、ニュルンベルク観光案内書には日本語のガイドブックもあるので、英語がそんなに得意でなくてもここに行くことは出来る。

 

こちらがツェッペリン広場の地図。英語表記であるが、ニュルンベルクの観光案内所には日本語表記の地図もある。

 

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