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シンスハイム自動車技術博物館に展示されていた連合軍の兵器

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このブログ記事では、ドイツ南西部にあるシンスハイム自動車・技術博物館に展示されている連合軍兵器を紹介する。この博物館はアクセスが良くて、観光地で有名な大学都市ハイデルベルクのすぐ近くにある。

 

前回はドイツ北部にあるムンスター戦車博物館に展示されていた連合軍の兵器を紹介しましたが、今回のブログ記事ではドイツ南西部のシンスハイム市にあるシンスハイム自動車技術博物館に展示されている、連合軍兵器を紹介します。この博物館はムンスターよりもアクセスが良くて、大学都市の観光地として有名なハイデルベルク市の近くにあります。シンスハイム市にはTSGホッヘンハイムというブンデスリーガ1部に所属する有名なサッカーチームのスタジアムもあるので、サッカー観戦のついでにここを訪問することも出来ます。僕はこの博物館には3回行ったことがあります。ただし、入場料がムンスターは5ユーロ(1ユーロ=120円~130円)と安いのに対し、シンスハイムは12ユーロも取られます。理由はこの博物館はドイツ連邦軍が経営しているムンスターとは違って、私立の博物館で展示物も自動車、兵器、飛行機と非常に多いからです。ですから、シンスハイムは軍事マニアでなくて車、飛行機マニアの人でも楽しむことが出来ます。

 

 

アメリカ軍のM4シャーマン戦車とソ連軍のT34-85型とT34-76(1943年型)はかなり多くの数が生産されたので、欧米の軍事博物館に多数が展示されてる。

 

写真上はM4シャーマン中戦車のハイブリッド型。アメリカが生産したM4シャーマンはイギリス軍などの他の連合軍にも貸与されて改造されて、あまりにも多くのバリエーションがあるので、正確にはどのタイプかよくわからない。

 

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上の写真はソ連軍のT34-85型中戦車。前回アップしたムンスターの連合軍戦車の写真も見ればよくわかるように、米軍のM4シャーマン、ソ連軍のT34-85、T34-76(1943年型)はかなりの数が世界各地に残っており、欧米の軍事博物館では多数を見ることが出来る。それ以外にはソ連軍のJS2スターリン型重戦車も東ヨーロッパ諸国では戦後も長い間使われていたので、東ヨーロッパの軍事博物館に多くが展示されている。

 

アメリカ陸軍の戦車はアジア大平洋戦線では歩兵中心の日本陸軍を蹂躙したが、ヨーロッパ戦線ではティガー、パンターなどの強力な戦車を保有していたドイツ陸軍に苦戦した。ティガー重戦車に対抗できる重戦車が米軍に配備されたのは、戦争終結間際のことだった。

 

 

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これはアメリカ軍のM3スチュアート軽戦車。この軽戦車は頑丈な装甲で守られたドイツ軍戦車とはまともに撃ち合うことは出来なかったが、97式中戦車(チハ)が主力だった日本軍戦車隊は1941年にフィリピンに上陸した時に、この戦車を撃破することが出来ずにものすごく苦戦した。その後もガダルカナル島の戦いでも、歩兵が中心で有効な対戦車兵器を持たない日本軍は、この軽戦車が数台出現しただけで苦戦に陥った。

 

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アメリカ軍のM26パーシング重戦車。M4シャーマンの後継戦車として、ドイツ軍のティガー、パンター戦車に対抗できるアメリカ軍の戦車として開発されたが、第二次大戦での実線投入はほとんどなかった。有名な記録フィルムには、ケルン大聖堂の近くでこの戦車の前のタイプのT26重戦車がパンター中戦車を撃破するシーンが映っている。

 

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アメリカ軍のM16対空自走砲。M3ハーフトラックの車体後部にM4四連装対空機関銃架を取り付けたもの。第二次世界大戦後期の西部戦線では連合軍が制空権を取っていたので、対空用に使われるよりはむしろ対歩兵攻撃に威力があった。朝鮮戦争でもこの対空自走砲は使用されて、日本軍よりももっと凄い数で肉弾攻撃をかけてくる北朝鮮軍と中国軍歩兵への攻撃に威力を発揮した。

 

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これはアメリカ軍が使用したM7プリースト自走砲。プリースト(聖職者)というニックネームはイギリス軍に貸与された時につけられた。105ミリ榴弾砲を装備していて、連合軍の機甲師団麾下の自走砲大隊に配属された。戦後も朝鮮戦争で使用されて、中東戦争では主に米英から武器の支援を受けていたイスラエル軍が使用した。