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「ベルリン地下博物館」という廃墟博物館を訪れた(2)

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このブログではベルリン北東部のフンボルトハインに残る高射砲塔の跡地を紹介する。

 

このブログでは、地下博物館の近くにあるナチスドイツ時代に建造された高射砲塔跡地を紹介する。上の写真が、ベルリン北東部のフンボルトハインに残る巨大な高射砲塔の跡地。高射砲塔の下は市民を収容する地下壕となっており、1トン爆弾が直撃してもビクともしないという強度だったので、あまりにも巨大で頑丈だったため爆破することを断念して、今では巨大な市民公園になっている。このフンボルトハインの高射砲塔跡のように爆破されずに残っている巨大な高射砲塔跡が、ハンブルクとヴィーンにも残っており、今では企業のオフィスとして使用されたり、水族館として使用されたりしていて地元では有名なランドマークとなっている。

 

ナチスドイツは空軍大臣ゲーリングの指揮下、ベルリン、ハンブルク、ヴィーンという大都市に巨大な高射砲塔を何個も作って、連合軍の戦略爆撃に備えていた。しかし、残念ながらそれでも大した効果はなかった。

 

 

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写真はベルリン中心部のティーアガルテンに1941年に建設中の高射砲塔。この高射砲塔は戦後すぐに連合軍によって破壊されたが、ベルリン攻防戦の地上戦の時には高射砲塔は要塞として機能して、ソ連軍の進撃を遅らせた。空襲の時にはこのような巨大な高射砲塔の中に市民が避難できたので、ドイツ都市部への焼夷弾での空襲は日本ほど効果がなかったようだ。日本の場合は防空壕は各家庭、町内会で造るという滅茶苦茶ぶりだったが、ドイツの場合は都市空襲が本格化する前からナチスドイツ政府の特にゲーリング空軍大臣が指揮をして、巨大な高射砲塔の中に防空壕を造っていた。

 

こちらがウィキペディアの「高射砲塔」の説明。巨大な高射砲塔がベルリン、ハンブルク、ヴィーンに建造されたという説明がある。

 

ja.wikipedia.org

 

フンボルトハインの高射砲塔跡地は、全景を見るとまるで小高い丘のように見えた。そのような高射砲塔を造っても連合軍の戦略爆撃にはあまり効果がなかったというのだから、多数の爆撃機による戦略爆撃は凄まじい破壊力があったのだろう。

 

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2枚の写真の上は、フンボルトハインに残る巨大な高射砲塔を下から見上げて撮影した写真。7月で気温が30度ほどあった暑い日だったので、木が覆い茂っており、高射砲塔へと登る道路が整備されているのがわかる。ここは今では市民公園となっているので、散歩する人、ジョギングする人などがいた。

 

下の写真は、フンボルトハインの高射砲塔を離れた位置から全景を撮影した写真。全景を見ると夏なので樹木が覆っていて高射砲塔とはわからずに、小高い丘のように見える。丘に見えるほど巨大な高射砲塔陣地の跡なのである。だが、晩秋になって樹木が枯れると高射砲塔の全景が見えるようになる。

 

日本の場合はなんでこのような高射砲塔跡、巨大な防空壕跡が残ってないのかというと、連合軍の戦略爆撃がどれほどの威力と破壊力があるのかを予想すら出来ておらず、先にも書いたように防空壕は家庭と町内会で掘るとか、バケツリレーの練習で空襲の火災に備えていたという有様だった。このような巨大な高射砲塔を見ると、ナチスドイツは国民全員が参加する総力戦に対する備えがある程度は出来ていたが、日本は全く出来ていなかったと言えると思う。