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「坂の上の雲」に書かれているように乃木大将は無能だったのか?

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乃木大将とその家族のお墓を2006年11月に訪れた。司馬遼太郎が書いた「坂の上の雲」では乃木大将と第三軍司令部を”無能”と作者が貶しているが、本当に無能だったのだろうか?

 

2006年の11月中旬に東京の青山霊園を訪れて、日本の色んな偉人の墓を見てきた。

青山霊園でも少し特別扱いされているのが、乃木大将とその家族。歴史に詳しい人なら御存知のように、乃木大将は明治天皇の後を追って静子夫人と共に自刃し、2人の息子は日露戦争で戦死してしまったので乃木家は断絶してしまった。これは本当に悲劇であり、そのことが当時の日本人の心をとらえたのか、青山霊園の近くには乃木神社、乃木会館、乃木坂などがあり乃木大将にちなんだ地名が多い。「乃木坂46」というアイドルグループにも、乃木大将の名前がついていることになる。写真上が青山墓地にある乃木大将夫妻のお墓。右が乃木大将で左が静子夫人のお墓。


しかし、歴史小説「坂の上の雲」で、司馬遼太郎は乃木のことを
「旅順要塞攻略戦で、戦死者1万5千人以上を出した張本人の無能な将軍」
と徹底的に非難しており、明治帝に殉じて自刃したのも気に入っていないようだ。
「東郷さんなど他の人達は、明治帝の後を追って自殺などしてないのに、なぜ乃木だけが殉死などという侍の悪しき習慣をまたやってしまったのだ」
というふうに批判している。これには自分も同感だ。殉死など狂気の沙汰であり、いいことではない。天寿をまっとうして、日露戦争の経験を後世に語り継いで欲しかった。

 

日本軍はすごい損害を出したが最終的には旅順要塞攻略に成功したのだから、「作戦成功」と判断するべきではないのだろうか?

 


しかし、乃木は本当に無能だったのだろうか?司馬の本はかなり偏った見方をしていると思う。

乃木将軍と第三軍司令部にとって大きな不幸だったのは、あのような堅固な要塞を日本軍はかつて攻め落としたことがなかったことであろう。だから、現場で試行錯誤しながらの作戦指導となり、結果的に大損害になってしまった。しかし、少し冷静で残酷な見方をすれば、あれほどの大要塞を戦死者1万5千人ほど、4ヶ月半という期間で落としたのだから、ある意味、”作戦成功”だったのかもしれない。

実際、乃木第三軍司令部は1904年8月の第一次総攻撃が失敗に終わると、すぐに東京湾から28センチ榴弾砲を取り寄せ、この巨砲で要塞を砲撃してロシア軍を慌てさせ、さらに、ジグザグに壕を掘り、工兵隊を少しずつ前進させて要塞に爆薬を仕掛けて爆破するなどの色んな工夫を行なっており、「坂の上の雲」、映画「二百三高地」のように、いたずらに歩兵突撃のみを行なって兵の損害を増やしていたワケでは全くない。
 
「乃木が無能だったから、1万人以上もの兵隊が戦死した。児玉満州軍参謀総長か黒木第1軍司令官が旅順要塞攻略戦の指揮官だったら、もっと、短期間で、数少ない将兵の損害で済んだだろう」
などということを主張している人はかなり多いが、最近、自分はそういう意見は全く間違っていると確信している。

 

こちらが、旅順攻防戦のウィキペディアの説明。この説明を読めば、乃木大将と第三軍司令部は決して無能ではなかったことがわかると思う。

 

ja.wikipedia.org

 

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第一次世界大戦ではドイツ軍はフランス軍のベルダン要塞を猛攻撃したが、両軍合わせて約70万人という凄まじい死傷者を出しながら、最後は作戦中止となり要塞攻略に失敗している。

 

ドイツの歴史にも絡めて説明するなら、第一次世界大戦のドイツ軍対フランス軍の戦いでも、有名なベルダン要塞の戦いのように、コンクリート、鉄条網、塹壕で固められて、そこに、多くの機関銃、あらゆるタイプの大砲を備えた要塞を攻撃した際には、ドイツ軍もフランス軍もかなりの損害を出している。ベルダン要塞攻防戦では、10ヶ月間の戦いでドイツ軍と連合軍合わせて、約70万人ほどの死傷者という、旅順要塞の数倍の損害を出している。それで結局、ベルダン要塞をドイツ軍は攻略することが出来なかった。でも、フランス側ドイツ側も兵力の損失が大きすぎて、しばらくは大規模な作戦は不可能という両軍痛み分けに終わってしまった。もっと詳しく知りたい方は、ウィキペディアの「ベルダン要塞」の説明を読んでもらいたい。
 

第一次世界大戦で活躍したヨーロッパの優秀な将軍たちでも、鉄条網、塹壕、機関銃で固められた縦深陣地を、歩兵の突撃と砲兵の援護射撃だけで突破するには、かなりの損害を出したのだった。このような堅固な陣地を突破するために作られたのが、言うまでもなく戦車と爆撃機である。爆撃機は特にドイツ軍のスツーカのような急降下爆撃機を指す。戦車と爆撃機の出現によって、機関銃も鉄条網も防御には役に立たなくなり、戦争の戦略、戦術は新しい時代に入った。

 

ドイツでは第一次世界大戦での失敗から、ヒトラーが総統になって再軍備を宣言すると、ルッツ、グデーリアンなどが中心になって、機甲部隊による攻撃を中心とした電撃戦という新しい戦術の構想を始めた。第二次大戦初期におけるドイツ軍の攻撃は、電撃戦によって連戦連勝だった。

この辺の詳しいことは、「『坂の上の雲』では分からない旅順攻防戦」という本に書いてある。写真上がその本であり、僕も「坂の上の雲」だけでなくてこの本も読んだ。
 
 
映画「二百三高地」では乃木が副官から、「閣下、御子息、保典さんが(戦死されたそうです)・・・」という報告を受けると、乃木は軍司令官室に入り軍刀を握り締めてハラハラと涙を流すというシーンがあるが、これはとんでもない大嘘らしい。あまりにも多くの兵が戦死していたので、「自分の息子も死ぬかもしれない」という覚悟が乃木にはあったようだ。

いずれにしても、「万骨枯れて一将成る」という諺は、乃木大将の為にあるように思われる。