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マラドーナと最も戦った国はドイツ代表チームである

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マラドーナが亡くなったが、ワールドカップで最も彼と名勝負をしたのは間違いなく西ドイツ代表である。それは1986年のW杯メキシコ大会から始まる。

 

 

アルゼンチンのサッカー選手で監督だったディエゴ・マラドーナが60歳でお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。 上の写真はドイツのドルトムントにある「ドイツサッカー博物館」に展示されている、1990年イタリア大会決勝のアルゼンチン対西ドイツの試合時に、マラドーナが着ていたユニフォームと、マラドーナを徹底的にマークして完封したブッフヴァルトが着ていたユニフォームです。ブッフヴァルトはディエゴ・マラドーナを完封したので、その後は「ディエゴ」というあだ名で呼ばれました。もちろん、ブッフヴァルトは1994年にドイツ代表を引退した後に、浦和レッズで選手としてプレイをして、監督を務めたことでも有名です。

 

 

サッカーワールドカップで、最もマラドーナが所属していたアルゼンチン代表と名勝負をしたのはどこの国だろうかというと、実はいうと僕が大好きなドイツ(正確には1990年までの西ドイツ代表)である。

 

1986年のワールドカップメキシコ大会では、決勝で西ドイツはマラドーナが率いるアルゼンチンと対戦した。西ドイツ代表の監督は1974年の西ドイツ大会で、キャプテンとして西ドイツを優勝に導いたベッケンバウアーだった。この試合のTV放送は早朝であったけど、僕は父と一緒に見ていた。後半10分までにマラドーナの率いるアルゼンチンが2点を取って、アルゼンチンの楽勝ムードと思われたが、その後、後半28分にルンメニゲが、36分にはフェラーがコーナーキックからゴールを決めて同点に追いついた。ドイツ代表の特徴としては、コーナーキック、フリーキックなどのセットプレイからの得点が多いことが挙げられる。

 

しかし、同点にした3分後に西ドイツのディフェンスはマラドーナを封じるために最終ラインを高くしていたのに、マラドーナからブルチャガへスルーパスが出た時に、ドイツのディフェンダーが1人残ってしまい、ブルチャガがGKのシューマッヒャーと1対1になり、これを冷静にゴールに流し込まれて勝負は決まった。監督のベッケンバウアーはこのゴールを「馬鹿なゴール」と呼んで切り捨てた。

 

個人的なことだが、メキシコワールドカップは僕が初めてTVで観戦したワールドカップであり、その時に僕は高校3年生でなんとなくワールドカップを見ていたのだが、友達がアルゼンチンのいるマラドーナ、プラチニのいるフランスなどについて話をしていた。その時に友達の一人から、「G(僕のこと)はどこを応援しているんだ?」と質問された。すると、他の友達が「お前はいつもナチスドイツ軍のタイガー戦車、メッサーシュミット戦闘機の話とかしているから、西ドイツじゃないのか?」と言った。それで僕も別に特別に応援している国はなかったけど、「そうだな、やはり西ドイツ代表は気になるな」と答えた。その瞬間、僕はドイツサッカーのファンになった。(笑)

 

 

4年後のイタリアW杯決勝で、再び西ドイツはマラドーナの率いるアルゼンチンとあたったが、この時に4年前のリベンジを果たした。マラドーナをマークしたのは、日本でもプレイしたブッフヴァルトだった。

 

 

4年後のワールドカップイタリア大会で、西ドイツ代表は再びアルゼンチン代表と決勝であたった。この時の監督もベッケンバウアーであり、西ドイツにもアルゼンチンにも4年前のメンバーがかなり残っていた。西ドイツ代表では、日本でも有名なリトバルスキーとブッフヴァルトがこの試合でプレイした。

 

しかし、この時は試合前から「西ドイツがかなり有利」と言われていた。一つの大きな理由としては、マラドーナと一緒にFWのツートップを組んでいたカニーヒアが、準決勝のイタリア戦までの累積警告のために決勝戦では出場停止だったからである。マラドーナは長身のブッフヴァルトの執拗なマークを受けつつも必死にプレイしたが、やはり、カニーヒアがいない穴は大きくてゴールは決められなかった。85分に西ドイツのクリンスマンがペナルティエリア内で倒されて、その時に得たPKをブレーメが決めて今回は西ドイツが危なげなく勝った。

 

下の写真が1990年イタリア大会での3回目の優勝を祝うドイツイレブン。トロフィー高くを掲げているのは、キャプテンのマテウスである。

 

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1994年のアメリカW杯を最後にマラドーナはアルゼンチン代表から引退したが、2010年の南アフリカW杯で今度は監督としてドイツ代表と対戦して惨敗した。

 

1994年のアメリカW杯を最後にマラドーナはアルゼンチン代表から引退したが、その後もドイツ代表とマラドーナの因縁は続いた。2010年にマラドーナが監督を務めるアルゼンチン代表は、準々決勝でドイツと対決した。この時はアルゼンチンはスーパースターのメッシを中心にドイツと戦ったが、クローゼの2ゴールなどもあってドイツが圧勝をした。どうも、マラドーナには監督の才能はあまりなかったみたいである。

 

そして、4年後のワールドカップブラジル大会では、ドイツは準決勝でブラジルに7-1で圧勝した後にアルゼンチンと3回目の決勝戦を戦った。この時はマラドーナは、VIPゲストの1人としてスタジアムで見ていた。結果はドイツが延長戦で1-0で勝った。結局、マラドーナが西ドイツ時代も含めてドイツに勝てたのは、1986年のメキシコ大会の決勝だけとなる。

 

なぜ、ドイツのような組織的サッカーをプレイするチームが強くなり、アルゼンチンのようなマラドーナという天才選手の個人技に頼るチームが弱くなったのかは、時代の流れといえるだろう。今はITを駆使したデータで選手を分析することが出来る時代なので、マラドーナ、メッシのような1人のスーパースター選手がいても、試合に勝つことは難しくなったのである。これからは、ドイツのように組織的プレイを重視するチームが勝つ時代が続くと思う。