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第二次世界大戦が始まった場所のグダンスクを訪問

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2007年7月に第二次世界大戦が始まったポーランド北部にある都市、グダンスクを訪れた。1939年9月1日にヒトラー総統の率いるドイツ軍が、突然にポーランド軍のヴェステルプラッテ要塞に攻撃を仕掛けて、第二次世界大戦が始まった。

 

2007年7月末にポーランド北部にある都市、グダンスクを訪れた。第二次世界大戦に詳しい人、特にドイツの歴史に詳しい人ならこの街は第二次世界大戦が始まった場所として知ってるはず。「第二次世界大戦が始まった」というのは、日本軍が真珠湾を奇襲攻撃して日本にとっての対米英戦が始まったのではなくて、その前にナチスドイツが1939年9月1日にポーランドを攻撃して、ヨーロッパで第二次世界大戦が始まったことを指す。写真上はグダンスクの「ヴェステルプラッテ要塞」に建つ大きな記念塔。


1939年9月1日の早朝に、「親善訪問」という名目でグダンスクを訪れていたドイツ海軍の旧式戦艦「シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン」が、何の警告もなしに突然にポーランド軍の要塞があったヴェステルプラッテに砲撃を開始した。ここから、第二次世界大戦が始まった。以下はウィキペディアの「ヴェステルプラッテ」の説明を引用。

1939年9月1日現地時間4時45分、宣戦布告などといった予告もなしに「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」は、突如その280mmと150mm砲でポーランドの守備部隊を砲撃を始め、ポーランド侵攻を開始した。これに続き、ドイツの海軍突撃歩兵中隊により攻撃が行なわれ、簡単に勝利を手に入れることを期待されていた。しかし、ポーランドの軽火器と機関銃により反撃をうけた。その日、2回の攻撃でも同様に反撃を受け、ドイツは予想外の損害を受けた。しかし、ポーランドの75mm砲も水路を横切ってドイツが確保した28個目の壕において破壊された。

翌日、ドイツは何度も海軍や、野砲(210mmの榴弾砲を含む)による砲撃とJu87スツーカによる急降下爆撃をヴェステルプラッテに加えた。SS「ハイムヴェール・ダンツィヒ」(ダンツィヒのSSと警察部隊)と戦闘工兵は繰り返し攻撃をし、ポーランド軍はその影響を受け、7日の間攻撃が頓挫していた。最終的にヴェステルプラッテの守備兵は、たくさんの死傷者をだし、彼らは食料、水、武装、医薬品の補給が枯渇し、9月7日に降伏をした。

約2600人のドイツ兵が205人のポーランドの守備隊に対して戦闘を行った。正確なドイツ軍の損害は不明であるが、その数は数百人と推定され、ポーランド人の損害は、14人死亡、53人が負傷ともっと少なかった。更に、無線通信士のカジミェシュ・ラシンスキ軍曹が、捕虜になった後、暗号コードをドイツに教えることを拒んだため殺害された。

 

ja.wikipedia.org

 

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ドイツ軍はヴェステルプラッテ要塞はすぐに占領できると予想していたが、ポーランド軍の頑強な抵抗を受けて占領するまでに7日間もかかった。この頃のドイツ軍はまだあまり強くなかった。

 

簡単にまとめると、ナチスドイツ軍はヴェステルプラッテ要塞のポーランド軍の戦力を侮っており、「水路には戦艦『シュレスヴィヒ・ホルシュタイン』がいるし、陸からは歩兵が重砲の支援の下に攻撃するから、1日で占領できるだろう」と予想していたのに、ポーランド軍の勇敢な抵抗を受けて予想以外の損害を受けて、占領までに7日間もかかったのである。ヴェステルプラッテ要塞の中央を通る道路は、当時のポーランド軍指揮官の名前からスハルスキ通りと名付けられてる。写真上は「ヴェステルプラッテ要塞」にあった記念碑。ポーランド語で書かれているので何とかいてあるのかわからないが、恐らくここで戦ったポーランド兵の勇気を讃えているのだろう。

「グダンスク」はポーランド語の名前で、ドイツ語では「ダンチッヒ」ということ、ドイツ軍が予想以上にポーランド戦では苦戦したことは、第二次世界大戦に詳しい人ならよく知ってるだろう。

 

ポーランドはナチスドイツに攻撃されたら、イギリスとフランスから軍事援助の保障を約束されていたが、英仏はドイツに宣戦布告はしたものの、大戦争になるのを懸念して何もしなかった。

 

さらに、ポーランド軍が1939年9月に2週間の間、ナチスドイツの攻撃を持ちこていた時に、ナチスドイツに宣戦布告をしていたイギリスとフランスが西からナチスドイツを攻撃していれば、1939年9月にヒトラーのナチスドイツは英仏軍の攻撃の前に降伏したはずだった。西から攻めてくる英仏軍を止める力はナチスドイツ軍にはなかった。そうすれば、第二次世界大戦は「世界大戦」になる前に、「ポーランド紛争」とかいう短期間の地域戦で終わっていたことも、第二次世界大戦に詳しい人なら知ってるだろう。

正しく、イギリスのチェンバレン首相とフランスのダラディエの対ナチスドイツ「宥和政策」が、ヒトラーのナチスドイツ軍を巨大な化け物にしてしまったのだった。「平和主義だけでは戦争は防げない」という教訓になった。


写真下は戦後にソ連軍がヴェステルプラッテ要塞内に設置した、ソ連軍のT34-76型戦車の記念碑。しかし、1939年のナチスドイツ軍とポーランド軍との戦いとソ連軍は何の関係もないので、戦後にポーランドがソ連によって、無理やりに共産圏に組み入れられたことを象徴する記念碑になる。ポーランドが本当に「解放」されて自由になれたのは、1991年のソ連崩壊の時だった。

 

 

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