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「敬語」がないのでわかりやすい欧米の人間関係

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●ドイツ語、英語などのアルファベット文字を使う言葉には敬語表現がないことが多い。もちろん、必ず挨拶をしなければいけないなどの礼儀というのはあるが、外国人が日本語を学ぶ際に一番難しいのは敬語だという。尊敬、丁寧、謙譲という概念が外国人にはわかりにくいのが理由だという。

●ナチスドイツ時代にドイツ兵だったおじいさんとドイツ語で交流をしたが、日本人の感覚だと40歳も年上の方々に「ため口」というのは失礼なので、いつまでも家族名で「〇〇さん」と呼んでいた。でも、ドイツ人は友達ならお互いに名前(ファーストネーム)で呼び合うのが当たり前なので、おじいさんは日本人である僕の態度を不思議に思っていたようだ。(苦笑)

 

英語、ドイツ語などでは「敬語」がないので、特に若者の間ではすぐに打ち解けられるというメリットがある。年上が自動的に偉いという考えもない。 

 

僕はドイツにいた時に多くの元ドイツ兵を始めとするドイツ人と話をしたが、日本と大きく違うと気づいたのはドイツ語、英語などには敬語がないので、元ドイツ兵のおじいさんと気軽に話ができたことだ。欧米の社会には年上だと自動的に偉くなるという儒教精神、先輩、後輩、敬語というものは存在しないので、子供と大人が気軽に話せるというメリットがある。上のドイツ人のおじいさんたちの写真については、最後に説明を書いた。

1999年春にドイツ人の家庭(H家)にホームステイしていた時、そのH家の旦那さんと長男は、毎週金曜の夕方に近所で行なわれるカードゲームのサークルに参加していた。そこに元ドイツ兵のおじいさんが2人いたのだが、そのおじいさんたちは僕が日本人だとわかると色々と話しかけてきてとても親切にしてくれた。

 


「日本では年上が自動的に偉くなるし、年上の方には『敬語』を使うのです」ということを元ドイツ兵のおじいさんに説明したが、おじいさんは日本流の考えが理解できなかった。

 

それで、2005年に再びその家に滞在した時に、その内の1人のおじいさんの家に遊びに行った。そのおじいさんは名前がA、家族名がSといって、ヒトラーユーゲントにいて1945年1月から前線で戦ったのだが、とても優しい人で突然の僕の訪問にもかかわらずに僕を家の中に入れてくれた。

僕は日本人の年寄りに対する接し方を、一応、理解してもらった方がいいと思い、ちょっと説明した。
僕「日本では、年寄りには敬意を示さなければなりません。必ず若い人が先にお辞儀をするとか、丁寧な言葉で話すとか。ドイツでは若者もあなたのことをファーストネームで呼んでいますが、日本では考えられないことです。僕の父方のおじいさんは東(あずま)という下の名前でしたが、おじいさんに、『おい、東』と話しかけるのはありえないことです。ですから、僕もあなたのことは[Herr S](Sさん)というふに呼ぶのが日本人にとっては当然なのです」
おじいさん「君は充分なほどに私に敬意を示しているよ。だから、別に『おい、A』というふうに呼んでもいいんだよ。それに、私は若者と話をするのが好きだから、若者から名前かニックネームで呼ばれるのを喜んでいるよ」
「でも、日本では、第二次大戦時に兵隊だったおじいさんを名前で呼ぶことは、考えられないのです。それは極めて失礼なことです」

おじいさんは、僕の言ったことを聞いて不思議そうに首を傾げていた。そして、おじいさんと別れる時まで、日本流に「Sさん」と呼んである程度心の距離をとったのだが、そういう僕の態度がドイツ人のおじいさんには、全くわからないようだった。

ハリウッド映画で2010年に封切られた「ウォールストリート」という映画を見ていても、1987年の前作「ウォール街」で巨額のインサイダー取引の罪で刑務所に入り、刑期を終えて刑務所から出てきたマイケル・ダグラスの演ずる株のブローカーのゴードン・ゲッコーが、彼の20代の娘のフィアンセが会うシーンがある。ゲッコーはフィアンセとしばらく話した後に分かれると時に、「そろそろ俺のことを、〝ゴードン”と親しみを込めてファーストネームで呼んでくれないかな?」とフィアンセに微笑んで話すシーンがある。そして、次に会った時は若いフィアンセは年上で経済界の大物のゲッコーに、「久しぶりだね、ゴードン」と話しかけるのだ。

 

「敬語」がないのでドイツでは4歳の子供にも僕はファーストネームで呼ばれて、”ため口”で話しかけられた。これは日本ではあり得ないこと。

 

しかし、敬語がないので老人に対して”ため口”で話すことができる一方で、年下からもため口で話しかけられるので、僕もドイツでは10歳以上年下の若者からもため口で話しかけられるのが当たり前だった。よく覚えているのは、仙台の東北大学で6年ほど仕事をしていたドイツ人弁護士のSと妻のMの住む家に、2012年9月に遊びに行って泊まったことがあった。すると、まだ4歳だった子供のBに「おい、T(僕のファーストネーム)」とため口で話しかけられたことがあった。4歳の子供にファーストネームで呼ばれた時はさすがに違和感を感じたが、敬語がない社会なのだから仕方がなかった。(苦笑)

 

日本の先輩、後輩という人間関係は特に体育会系の部活で厳しいが、この封建的な考えについてはドイツ人は呆れていた。

 

それ以外にも、「先輩、後輩」という言葉について尋ねられたこともある。10年前にホームステイしていた時に、その家族の娘さんと彼女の夫が、日本をテーマにした映画「ライジング・サン」をテレビで見て、その映画に何度も登場する「先輩、後輩」という言葉に興味を持ったのだった。

「先輩、後輩というのは、特に体育会系の部活で厳しく使われるのです。日本の学校の体育会系の部活では、1年生は奴隷、2年生は人間、3年生は神様というふうに定義づけられていて、上級生の言うことには無条件で従わないといけないのです。1年生が3年生に、『おい、ジュース買ってこい』と言われたら、1年生はどんなに練習で疲れていても、買いに行かないといけないのです。拒否したら、『1年生が上級生を侮辱した』ということで、退部になります」
僕がこのように説明すると主人は、
「そんな乱暴なことをしていても、先生は注意しないのか?」
と、僕に聞いてきた。主人だけでなくそのドイツ人家族全員が全く理解できていないようだった。

「いいえ、注意しません。それが、日本流の礼儀なのです。先生も昔からそういう経験をしているから、年上の人を敬う人間になるようにその教育が正しいのです。でも、僕はそういう厳しい人間関係が嫌だったので、中学生の時にバトミントン部を辞めました」
「それは辞めた君が正しいんだよ。上級生なら何をしてもいいというなんて、人権も何もないだろ。ドイツのスポーツクラブでは、子供も大人も楽しく活動しているよ。威張っている奴がいたら、そんな奴はクラブから追放されるよ」
主人と家族は、怒って呆れ返った表情をしていた。このように書いてみると、日本の体育会系の部活はやはり異常かもしれない。でも、最近はこういう先輩と後輩の間の厳しい人間関係も崩れつつあるようだけど、とても良いことだと思う。

 

ドイツ人との会話から、「建て前と本音」という考えも日本にしかない独特のものだとわかった。

 

あと、日本とドイツの違いと言えば、建て前の行動をする人がほとんどいないことだろう。

適切な例ではないかもしれないが、僕はドイツを独りで旅していた時に、ホテルの受け付けの女性、レストランのウェイトレスなどから、“逆ナンパ”のようなことをされたことがある。独身の日本人男性が1人で旅しているのが珍しかったからだろうけど。

例を挙げると、あるホテルに宿泊中に、部屋の鍵を預けようとフロントに行くと、金髪の30才ぐらいの女性が中年夫婦の応対をしていた。その時はなんだか彼女はつまらなそうな顔をしていたが、中年夫婦が行って僕が現れると彼女の顔は嬉しそうな表情になり、
「今日も暑いわね。今日はどこに出かけるの?鍵ですか?ちゃんと預かっておきますから。いってらっしゃい、楽しい一日を。また、後で会えるといいわね、フフフ」
と、ニコニコと笑って言ったのだった。

まあ、ドイツ人の若い男女というのは、職場でも平気で客の興味を引こうとしたり、ナンパしたりする人が多い。日本だと、
「ホテルの受け付けで客に色目を使うとは何事だ!職場で公私混同するのは、給料を貰っているプロとしておかしいとは思わんのか!?」
などと上司から注意されるのが当然だろうけど。

 

しかし、本音と建て前があるのは日本社会独特なので、ウィキペディアの説明でも「日本にしかない考え方」と書いてある。こちらが「本音と建て前」の英語の説明。

 

en.wikipedia.org

 

 

 

またまた日本とドイツ、いや、ヨーロッパの社会の違いを書いてみましたが、ヨーロッパ人のようにリベラルに生きるのは日本では無理でしょう。でも、学校、職場での陰湿ないじめを無くして、心の病などを減らすためにはもっと簡単でわかりやすい人間関係にした方がいいと思います。よく、「日本の常識は世界の非常識」と言われているとおりです。

 

一番上の写真はドイツで知り合いになった元ドイツ兵のおじいさんたち。中央に座っていてこちらを向いているのがAさんで、前述したようにヒトラー・ユーゲントに所属していて1945年1月から前線で戦った。彼のお兄さんは武装SSに所属していて、始めは「アドルフ・ヒトラー」総統護衛連隊にいたが、後に第7SS「プリンツ・オイゲン」師団でユーゴスラビア戦線で戦って奇跡的に生き延びたという。後ろのテーブルに座っているのがEさん。彼はイタリア戦線で戦っていて、モンテ・カッシーノ修道院の爆撃でイギリス軍の捕虜となった。

 

下の写真は、2012年9月に遊びに行ったドイツ人弁護士のSと妻のMの家族。Sは東北大学准教授として6年間勤務していたが、2011年3月の津波で家族が仙台に住むのが怖くなって帰国したので、彼も契約した仕事を済ませて翌年3月にドイツに帰国した。

 

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