Deutschland-Lab

歴史や文化、スポーツなどドイツに関する情報まとめサイト

ドイツにある世界最大の鉄道模型テーマパーク「ミニチュアワンダーランド」(3)

f:id:novaluewriter:20200916120301j:plain

 

ドイツにある世界最大の鉄道模型テーマパークの「ミニチュアワンダーランド」内に、「ベルリンの街並みの歴史」を再現したジオラマがあり、それは悲しいドイツの歴史を表現していた。

 

この見出しに書いたように、ドイツのハンブルクにある世界最大のHOゲージ鉄道模型テーマパークの「ミニチュアワンダーランド」内に、「ベルリンの街並みの歴史」を再現したジオラマがあり、そこにはベルリンの街並みを再現した6つのジオラマがあり、それは時の移り変わりとともに、ドイツの悲しい歴史を再現していた。

 

上の写真は第1次大戦当時のベルリンの街並みで、当時の機関車が牽引する旅客列車と共に、街では前線へと向かう軍隊の行進と、配給制となった食料などを待つ銃後に残されたご婦人たちの姿が再現されている。

 

 

f:id:novaluewriter:20200916121551j:plain

 

次の写真は第2次大戦中のベルリンの街並みであり、最前線へと向かう戦車を搭載した軍用列車と共に、街の建物は連合軍の空襲で破壊されており、さらに、トラックから囚人服を着たユダヤ人、反ナチス的な人達が親衛隊によって乱暴に下ろされていて、強制労働に駆り出される様子が再現されている。

 

f:id:novaluewriter:20200916122049j:plain

 

この写真は見ればわかるように、戦争によって完全に破壊されたベルリンの街を表現している。列車はソ連軍の攻撃で破壊されており、路上には破壊されたドイツ軍の戦車と降伏するドイツ兵たちと、「勝利者」としてベルリンに進軍してくるソ連軍の戦車と兵隊が表されている。日本の場合は悲劇はここで終わり、後は戦後の復興があるのだが、「ドイツ(特にベルリン)の悲劇」はこれでは終わらなかった。

 

 

ナチスドイツが降伏してドイツの悲劇が終わったのではなくて、1961年8月に「ベルリンの壁」が突然に建設されるという悲劇が起こった。そして、壁は1989年11月にようやく崩壊した。

 

f:id:novaluewriter:20200916122620j:plain

 

この写真は新しいベルリンの悲劇の始まりを表している。1961年8月に何の警告もなく突然に「ベルリンの壁」の建設が始まり、東ベルリンから西ベルリンへの自由な移動は出来なくなった。資本主義地域の西ベルリンは、共産主義国の東ドイツ国内に離れ小島のように残された資本主義国西ドイツの一部となった。このジオラマのように幹線道路には検問所が設けられて、東と西を結ぶ交通は全部遮断されて、東ドイツ国境警備隊の厳しい調査をパスしないと、東ベルリンから西ベルリンへと移動できなくなった。

 

f:id:novaluewriter:20200916123800j:plain

 

このジオラマはベルリンの壁が完全に完成した様子を表している。東西ドイツを結んでいた鉄道線路は完全に解体されて、壁の東ドイツ側には東ドイツ国境警備隊が管理する検問所が設けられて、厳しい検査にパスしないと東ドイツ市民は西ベルリンへと行くことは出来なくなった。また、僕のドイツ人の友達が言うには、東ベルリン地区を出発してから一度西ベルリン地区を通って、また東ベルリン地区に戻ってきて終着駅に着くという地下鉄路線もあったけど、そういう地下鉄は西ベルリン地区の駅では止まらないで猛スピードで通過したという。これは当然ながら、乗客が西ベルリン地区で地下鉄から飛び降りるのを防ぐための行動だった。

 

f:id:novaluewriter:20200916124708j:plain

 

これは、1989年11月にベルリンの壁が崩壊した時の様子を再現したジオラマ。ベルリンの壁は1961年8月に建設されてから1989年11月に崩壊するまで、28年間も東西ベルリン市民の自由な移動を妨げ続けた。東ドイツ市民が検閲がなくなったので西ベルリンへと行こうと道路に集まっていて、壁の向こう側では西ベルリン市民が歓迎している様子が再現されている。壁が崩れた理由は、やはり、当時のソ連のゴルバチョフによる「ペレストロイカ」であり、巨大な共産主義国家ソ連という後ろ盾を失った同じ共産主義国の東ベルリンは崩壊するしかなかった。

 

 

だが、ベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統一された後も、豊かな西ドイツと貧乏な東ドイツの間の大きな経済格差という課題が残った。この課題を30年経った最近になって、ようやくドイツは克服しつつある。

 

しかし、これでドイツはハッピーエンドというわけではなくて、28年間で豊かな西ドイツと貧乏な東ドイツの経済格差はひどいものがあり、資本主義国の西ドイツ政府と会社の幹部は、共産主義教育を受けた東ドイツ人を再教育しなければいけないという課題に直面した。わかりやすい例を挙げれば、東ドイツの才能があるサッカー選手たちは、ほぼ全員が金持ちの西ドイツチームに高額な年俸で引き抜かれてしまい、東ドイツの名門チームであるディナモ・ドレスデンなどは、東西ドイツ統一から30年経った今でもブンデスリーガ2部と3部でプレイしており、バイエルン・ミュンヘンなどのビッグクラブがいるブンデスリーガ1部に上がるのは、夢のまた夢となっている。