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ドイツですごい日本びいきのドイツ人たちに会った

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20年ほど前のドイツの観光ガイドブック数冊には、「第二次大戦の同盟関係があったので、ドイツ人は日本人が好きな人が多い」と書いてあったが、それは正しくその通りだった。

 

「第二次大戦の時に日独軍事同盟があったので、ドイツ人は大の日本びいきである」ということはドイツの観光ガイドブックに書かれていたこともあり、ドイツに関係のある日本人たちがよく話題にすることではあるが、本当にドイツ人は日本びいきなのだろうか?僕が1997年9月にドイツに一人旅をした時の経験談から、その具体的な例を挙げようと思う。

 

1997年9月にドイツへ独り旅した時に、ドイツ南部にあるヒトラーの山荘があったベルヒテスガーデンに行った時のこと。ベルヒテスガーデンのオーバーザルツベルクという所に、ナチス時代に使われていたヒトラー総統の別荘を守るための親衛隊兵士の地下壕陣地の入り口があったので、そこに行って全長1キロ以上もある地下壕陣地の内、見れる範囲を見学してから地上に戻ってきた。

そこであった面白いことだが、地下壕の見学を終えて、地下壕の出入口の前を歩いていると、出口から出てきた40代のドイツ人のおばさん(失礼)と目が合った。その女性は、サングラスをかけて金髪で身長が180センチ近い大柄の人だった。身長が164センチしかない日本人の僕の感覚からすると、和田アキ子のようなちょっと気が強そうな大柄な女性だった。

びっくりしたのは、その女性は僕を見るとまるで数年ぶりに恋人に再会したような嬉しそうなスマイルを浮かべて、僕にどんどんと近づいてきたのだった。この女性が白髪混じりの明らかに戦前生まれのおばあさんなら、
「日本人と第二次大戦の話をしたいのだろうな」
とすぐにわかったのだが、どう見ても戦後生まれのおばさんだったので、
「なんなんだろう、何で近づいて来るんだろうか?ベルヒテスガーデンには知り合いはいないし、若きツバメ狩りなんだろうか?」
と本当に不思議に思ったのだった。

だから、適当にこちらも微笑み返しをしておばさんの前を通り過ぎようとすると、おばさんはスマイルを浮かべながらドイツサッカー選手の屈強なディフェンダーのように、僕の進路を塞ぐように立ったのだった。僕はかなり困惑したが無視して通り過ぎることも出来なくなったので、
「グリュース ゴット」(こんにちは)
とバイエルン風に挨拶をして、おばさんと会話をすることにしたのだった。

僕[Sind Sie allein hier?](一人なんですか?)
おばさん[Nein, mit meinem Mann](いいえ、私の夫と一緒です)
そして、ベンチに座っている旦那さんの所に連れていかれた。
僕「僕はドイツ語が少ししかしゃべれないのですが、英語しゃべれますか?」
2人「いいや、我々は英語はあまりしゃべれないよ」
この時点で僕は、
「なんで英語もしゃべれないのに、日本人に声をかけたのだろうか?それに、なんで、東洋人を日本人と決めつけるのだろうか?本当に不思議だな」
と思った。

それから、2人と第二次大戦についてドイツ語で会話をして、旦那さんのおじさんがスターリングラード戦でソ連軍の捕虜となり、シベリア抑留を経てドイツに生還できたことがわかった。僕も、母方のおじいさんが、戦争中に日本軍の技師として働いていて、戦病死したことを教えた。そのような話をしてから握手をして別れたのだが、別れる時にも、おばさんは女学生みたいに喜んでスマイルを浮かべていた。別れた後におじさんとおばさんは目の前の坂を上っていったのだが、おばさんは2回も振り返って微笑みながら僕を見た。おじさんも同じように僕を見た。

「あのおばさんは若い頃(失礼)はかなりモテたのだろうが、陽気で天然な性格なんだな」

と思った。

それで、僕は2人に僕の名前をメモ帳に書いて渡して、おじさんとおばさんの名前もメモ帳に書いてもらったのだが、2人の家族名を見た時に「あっ!」と声を出してすごく驚いた。家族名は[Stransky](シュトランスキー)だったのだ!ドイツ軍マニアならすぐにわかると思うが、「戦争のはらわた」に出てくるマクシミリアン・シェルが演ずる悪役大尉と全く同じ名前でスペルまで同じだった。

「家族名が戦争映画に出てくるシュトランスキーだから、第二次大戦のことを強く意識しているのかもしれないな」

と僕は思った。

 

上の写真は、シュトランスキー夫妻と会話をした[Hotel zum Turken](ホテル・ツム・トゥルケン」の前の広場。このホテルの下に親衛隊の地下壕陣地があった。

 

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ドイツ語しかしゃべれないのに、日本人と日独同盟の話をしたがる年輩のドイツ人がたくさんいた。みなさん、僕のように第二次大戦に興味のある日本人に会えてとても嬉しそうだった。

 

僕がドイツで会った日本人に特別な感情を持つドイツ人は、このシュトランスキー夫妻だけではない。

同じくベルヒテスガーデン滞在中に、バスに乗ってヒトラーの山荘跡へ向かっていた時に日本語の第二次大戦の本を読んでいると、後ろの座席に座っていた40代のおばさん(失礼)が、
「D-DAY, Kriegsmarine, Luftwaffe」
などとドイツ語で書かれた箇所だけを覗き込んで読んで、そして、横に座っている旦那に、
「あのさ、私の前の日本人が第二次大戦の本を読んでいるのよ。今、[Luftwaffe]という所を読んでるわ。ゲーリングの写真もあるわ」
と教えたのだった。僕が振り返って、
「ドイツ人ですか?」
と聞くと2人とも、
「そうだよ」
と言ったので、何冊か持っていた本の中からヒトラー、来栖大使、チアノ大使が日独伊三国軍事同盟にサインしている写真を見せて、
「この時以来、日本人とドイツ人は友達です」
と言って2人と握手をした。おじさんが、
「君はドイツ語がしゃべれるのか?」
と聞いたので、
「まあ、ほんの少しなら」
と言うと夫婦共にちょっとがっかりした表情をした。でも、2人は日本人の僕と話をしたいという意欲がとても強そうだった。

 

上の写真の1枚目は、ベルヒテスガーデンにあるヒトラーの山荘行きのバスの終点。バスで登れるのはここまでで、ここからはエレベーターで山荘に登る。もちろん、徒歩で登ることもできる。こんな凄い山荘の設備が既にヒトラー政権の1936年から存在している。2枚目はヒトラーの山荘の一つである[Kehlstein Haus](ケースシュタイン・ハウス)。戦後にアメリカ軍はここを[Eagle's Nest](鷲の巣)と名付けた。ここからの眺めは本当に絶景である。ちなみに最後にここを訪れたのは駐ドイツ日本大使の大島浩であり、1944年5月というノルマンディー上陸作戦の数週間前に訪れている。



とにかく、ドイツ滞在中に出会った日本びいきで、日本人と軍事同盟の話をしたいというドイツ人のことを全部書いていたらとてもキリがないので、これぐらいで止めることにしよう。重要なのはドイツ人で日本びいきの人たちは、英語が喋れなくても日本人に話しかけてくる人が多いということ。これは、日本人にはあまりいない人たちであり、しかも、日本人は日本国内にいる白人を見ると「アメリカ人だ」と思う人が多いので、アメリカ人とドイツ人の見分けがつく人はほとんどいないという問題がある。

 

 

でも、今は第二次大戦の経験者も少なくなり、また、ドイツは「ヨーロッパは一つ」という理想を強く掲げている国なので、過去の日本との同盟には興味のない人が増えている。

 

ただし、ここに書いた日本びいきのドイツ人というのはまだドイツがマルク通貨を使っていた頃の話で、今はEUを中心としたヨーロッパ統合、統一通貨ユーロの導入ということもあり「ヨーロッパは一つ」という風潮が高まっているので、それの障害になるような過去の日本との軍事同盟については話したがらないドイツ人が増えてることも、残念ながら増えている。最近はムンスター戦車博物館、ヒトラーの山荘があったベルヒテスガーデンのような第二次大戦と関係のある場所でも日独同盟について話をするドイツ人は減っている。でも、今でも僕は日本との過去の同盟関係を大切にしているという、右翼思想のドイツ人の方々と交流をしている。