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サッカー・戦争映画「勝利への脱出」

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1981年に日本で封切られた「勝利への脱出」という、ドイツ軍サッカーチームと連合軍捕虜サッカーチームjがパリで試合をするという架空の物語の映画について解説する。

 

「勝利への脱出」という1981年制作のハリウッド映画は、サッカーファン、戦争映画ファンなら、一度は見たことがあると思う。

知らない人のために書いておくが、映画の話は以下のようなもの。

第二次大戦中、ナチス・ドイツ政府の提案で、ドイツ軍占領下のパリで、連合軍捕虜チームとドイツ軍チームの間で、サッカーの試合が行なわれることになった。だが、連合軍捕虜は試合のハーフタイム中に、ロッカールームから脱走する計画を立てていた、という話である。最後にどうなるかは、映画を見てのお楽しみ。

サッカーファンを唸らせるのは、ペレ(ブラジル)、ボビー・ムーア(イングランド)、アルディレス(アルゼンチン;元清水エスパルス、横浜F・マリノス、東京ヴェルディ監督)などの本物のサッカー選手がたくさん出ていて、プレーも本格的に再現されていることだろう。主演のシルベスター・スタローンはアメリカ人だが、この映画ではゴールキーパーを演じていてサッカーを一生懸命練習したという。この映画を封切りで見に行った大のサッカーファンの明石家さんまは、「ボビー・ムーアのプレイを見るために映画を見た」と言っている。

ドイツ軍のサッカーチームは当然ながら悪役なので、ラフプレーが多く、イメージが悪い。現実でもドイツ代表サッカーチームが、“悪役”のイメージがあるのは、ひょっとしたら、この映画のせいかもしれない。ドイツ人はサッカーが大好きだがドイツ軍サッカーチームがあまりにも酷く描かれているので、ドイツでは全くこの映画はヒットしなかったようだ。ドイツ語のウィキペディアの説明にも、「あくまでも映画なので、そんなに真剣にとらえないように」と注意書きがされている。(苦笑)

 

こちらが映画の予告編。

youtu.be

 

「勝利への脱出」という映画は架空の話だが、この映画にはモデルになったサッカーの試合が存在する。それは、ドイツ空軍サッカーチーム対FCディナモ・キエフの親善試合だった。



実は言うと、この映画にはモデルとなった話が存在する。サッカーの歴史にものすごく詳しい人なら、既に知っているかもしれないが、1942年7、8月に行なわれた、ドイツ空軍チーム対ディナモ・キエフの親善試合である。

以下、ウィキペディアの説明から引用。FCディナモ・キエフのウィキペディアの説明に書いてある。

1941年、ナチス・ドイツの侵攻により、キエフはドイツの占領下に入り国内リーグは中断された。ディナモ・キエフの選手達も、他の市民同様に強制労働に従事する事となったが、選手達は休憩時間に工場の空地で草サッカーに興じていた。そして、この話を聞いたドイツ側の提案によって、枢軸国軍側の幾つかのサッカークラブとの対戦が行われる事になった。

1942年7月に数試合を戦い、勝利を収めるとキエフ市民の評判を呼んだが、これを快く思わないドイツ軍は、8月に強豪のドイツ空軍クラブとの対戦を申し入れた。当時のウクライナはナチスドイツの占領下にあり、ウクライナの人々は強制収容所に移送される恐怖や餓えの中暮らしていた。そのような状況の中、試合前、ディナモ・キエフの選手は、ドイツ空軍を破ったら殺すと警告されていた。しかし、プライドを捨てる事の出来なかった彼らは、5-1で勝利を収めた。面目を潰されたドイツ軍は再試合を申し入れたが、5-3でディナモが勝利し、2連勝に終わった。

その後、選手達はゲシュタポによって逮捕。バビ・ヤールの強制収容所へ移送され、多くの選手達が処刑された。このエピソードは後に、「死の試合」(The Death Match)として広く人々に知られる様になり、1979年の漫画『実録サッカー戦士』(小林辰禎著。月刊コロコロコミック1979年11月号掲載。熱血!!コロコロ伝説 テーマ別アンソロジー 第2弾 驚愕!! トラウマまんが傑作選収録)、1981年に公開された映画「勝利への脱出」のモデルともなった。

ただし、試合が行われたことは事実であるものの、選手が処刑されたというのはソ連のプロパガンダによる作り話との見方もある[1]

 

ja.m.wikipedia.org

 


この試合は、ドイツと東ヨーロッパではけっこう有名らしい。そして、参加したディナモの選手たちを追悼する記念碑が、ディナモ・キエフのスタジアムには建っているという。色々と調べてみると、試合に参加したドイツ空軍とディナモの選手は、試合後、一緒に笑顔で記念撮影をしているので、選手同士はそんなに険悪な雰囲気ではなかったようだ。だが、ナチス党の政治家たちが結果を知った時に、
「ウクライナ人に、ナチス・ドイツがバカにされる恐れがある。それに、試合に勝ったディナモの選手たちが、反ナチスのシンボルになるかもしれない」
などと危惧したようで、その結果、選手たちは収容所送りとなってしまった。


僕が思ったのは、
「なんで、プロのサッカーチームとドイツ軍のアマチュアチームの試合を、開催しようなどと思ったのだろう?どんなにドイツ軍チームが頑張っても、プロのチームに勝てるワケがないだろう。スポーツの世界まで、ナチスは政治力で支配しようとしたのか。確かに、ベルリン五輪もあったけど、スポーツの結果まで恐怖政治で変えられるワケはないだろう」
ということだ。


日本で例えるなら、日本軍の野球チームがアメリカ軍捕虜の野球チームと、神宮球場で試合をするようなものだろうか。日本軍チームは、恐らく、東京6大学リーグ出身の若い将校で構成され、アメリカ軍チームは、メジャー経験のある兵隊で構成されるという感じになるのだろう。しかし、大日本帝国政府は、幸い、そんなことを思いつかなかったようだ。そんな試合を開催しないで、本当に良かったと思う。


写真下はこの事件について書いた「ディナモ ナチスに消されたフットボーラー」という本。

 

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