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ドイツ博物館の海軍歴史展示室で係員が詳しいガイドをしてくれた

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ミュンヘンの「ドイツ博物館」でドイツ海軍展示室担当のおじさんの係員が、普段は20人ほどのグループに対して行う説明を僕だけのためにしてくれた。

 

 

この話は、僕が2005年7月にヒトラーの山荘があるベルヒテスガーデンに行って、そこから当時滞在していたシュツットガルト近郊に住むドイツ人友達家族の家に帰る途中で、ミュンヘンのドイツ博物館に立ち寄った時の出来事。

 

このドイツ博物館には空軍展示室にはメッサーシュミットBf109戦闘機、メッサーシュミットMe262ジェット戦闘機、V1、V2ロケットなどが展示してあったが、そこを見学した後に地下1階に行くとドイツ海軍と、中世からの船の歴史が展示されていた。それで、ドイツ軍マニアである僕は第二次大戦のドイツ海軍というとUボートと同じくらいに戦艦「ビスマルク」が有名なので、「ビスマルク」の模型を探したのがなぜか見つからなかった。そこで、事務室に入ろうとしていた中年男の係員の人にドイツ語で、「こんにちわ。あの、僕は日本人でドイツ海軍が大好きなのですが、ビスマルクの模型はどこですか?」と質問した。すると、係員の人は僕がドイツ軍の戦記を数冊持っているのを見て、恐らくかなりのドイツ軍マニアだとわかったようで、[Haben Sie Zeit?]「君、時間はあるかな?」と質問をしてきた。はっきり言うと、ドイツ博物館を見た後にもバイエルン・ミュンヘンの本拠地であるアリアンツアレーナに行く予定もあったので、そんなに時間は余ってなかったが、説明を是非聞きたいと思い、[Ja](はい)と答えた。

 

おじさんの係員が僕にしてくれた説明というのは30分くらい続いたので、本来は20人くらいのグループに対して行うものだったようだ。でも、その日は訪問客が少なかったので、その説明を僕一人のためだけにやってくれたようであり、ものすごくラッキーだった。もちろん、僕が日本語で書かれたドイツ軍の戦記を数冊持っていたので、かなりナチスドイツ軍に詳しい日本人だとおじさんも判断したのだろう。

 

その時の説明の様子をできればムービーかデジカメで動画の撮影しておけばよかったのだろうけど、僕の持っていたデジカメは性能が悪かったので、動画は悪い画質のものしか撮れなかった。だから、文章で説明しようと思う。

 

 

係員の説明で、夜間の海戦ではいかにレーダーによる敵の索敵が重要かがよくわかった。第二次大戦のソロモン海戦で、性能の悪いレーダーしか装備してなかった日本海軍の悲劇がわかった。

 

まず、おじさんは船の操舵室に見立てた展示に僕を連れて行って、そこでライトを落として操舵室の前の風景を自動で動かして、

「昔の船では夜間の航行はこのように非常に危険だった。海軍の軍艦の場合は敵が機雷などを海上に敷設していることがあるので、見張り員の役目はとても重要だった。第二次大戦後期にはレーダーで海上に敷設してある機雷を見つけることも出来たが、それまでは視力の良い水兵が見張り員になって交代で24時間見張りをしていた。有名なタイタニック号が氷山に衝突して沈没した事件があったが、あれは明らかに見張り員のミスだよ」ということを説明してくれた。

 

次におじさんは僕を軍艦のサーチライトの前に連れて行って、

「今から第一次大戦と第二次大戦初期の夜間戦闘の様子を再現するよ」

と言って、ライトを消して展示室を真っ暗にした。当然、僕はおじさんの顔どころか自分の足元も見えなかった。そこでおじさんはサーチライトの光を隠しているブラインドを引っ張って開けた。すると、サーチライトの光で急にパッと明るくなった。思わず「あっ!」と声が出た。

「このように、レーダーが出来る前は夜戦では真っ暗で何も見えないけど、サーチライトのブラインドを開けて周りを照らすことによって、敵艦を確認できるようになる。照明弾にも同じ効果があった。敵艦からすると真っ暗闇の中で突然に敵の軍艦のサーチライトに照らされて攻撃を受けるから、すごく混乱する。だから、夜戦では先に敵を発見した方が圧倒的に有利になる。第一次大戦の夜の海戦ではサーチライトと照明弾がとても役に立った。でも、第二次大戦では1942年夏頃には多くの軍艦にレーダーが取り付けられたから、サーチライトはあまり意味がなくなった」

とおじさんはサーチライトと照明弾について説明をしてくれた。この説明を聞いて僕は「1942年夏から始まったガタルカナル島を巡るソロモン海での多くの海戦で、アメリカ海軍は暗闇の夜戦でも使える照射レーダーを装備していたが、日本海軍は照射レーダーを装備していなかったので、夜戦では一方的にアメリカ海軍の先制攻撃を受けて手も足も出なかった。米英連合軍にレーダーなどの技術開発で遅れていた結果、日本軍は兵隊の精神力に頼らざるを得なくなった」

という悲惨な事実を思い出した。

 

その次におじさんは戦艦「ビスマルク」と「ティルピッツ」の歴史について説明してくれた。僕はこの両戦艦の戦いについては詳しく知っていたので真新しい事実はなかったが、博物館にはノルウェーのフィヨルドでイギリス空軍の攻撃を受けて転覆した戦艦ティルピッツの破片が展示されていた。下がその破片の写真である。とても小さくてわかりにくいが、戦後の1957年にノルウェーのフィヨルドで解体が終わった戦艦「ティルピッツ」の貴重な破片である。

 

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日露戦争でロシア海軍にはドイツ製のUボートを、日本海軍との海戦で使用する計画があった。しかし日本軍の進撃が予想以上に早かったので、Uボートは投入されなかった。

 

次におじさんが説明してくれたとても興味深いことは、世界最初の潜水艦(ドイツでは[Unterseeboot]「Uボート」と呼んでいる)の展示だった。下がその写真だが、展示されていた場所の関係からあまり良い写真が撮れなかった。

「日本がロシアと1904年から翌年に戦争をしただろ?その時にドイツ第二帝国はロシア帝国側についており、このUボートを極東に派遣してロシア海軍が使う予定だったんだ。でも、Uボートが完成する前に日本海軍が極東のロシア海軍をほぼ全滅させたので、結局使われなかったんだ」

と説明してくれた。つまり、日露戦争で日本軍による旅順港の占領とウラジオストック艦隊の撃滅がもう少し遅れていたら、このドイツ製のUボートがシベリア鉄道を通って極東に送られて日本の近海に配備されて、対のUボート戦術が皆無だった日本軍はロシア海軍のUボートの脅威に怯えることになったのだろう。日本の歴史的に見ても、とても興味深いことだった。

 

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次に紹介する写真は確か第一次大戦で使用されたUボートの展示。見ればわかるように、第一次大戦時のUボートは非常に居住性が悪く、このような小型Uボートで大西洋と地中海の水中で戦っていたのは本当に気の毒だと思った。

 

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説明が終わると係員のおじさんは、「君は本当にドイツ語が上手だね」と言って褒めてくれた。とても嬉しかった。

 

ドイツ博物館のおじさんは、このようにとても詳しくドイツ海軍の歴史を説明してくれた。でも、説明をしてくれたのは2005年7月のことだから、かなり忘れてしまったこともある。最後におじさんは「君は本当にドイツ語が上手だな。素晴らしいよ」と言って、僕のドイツ語力を褒めてくれた。

 

最後にドイツ海軍の展示で撮影した軍艦の大きな模型を紹介する。一番上にアップしたのは、戦艦「ビスマルク」だったと思う。ドイツではたとえ博物館でもハーケンクロイツの展示が禁止されているので、艦首には変な旗が翻っている。下の2枚の写真は、重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」型とポケット戦艦「アドミラル・グラフ・シュペー」型。巡洋戦艦「シャルンホルスト」型の写真も撮影したはずだが、なぜかメモリの中にみつからなかった。(苦笑)

 

 

最後に僕のブログを訪れてくれてありがとうございます。子供の頃からティガー戦車、メッサーシュミット戦闘機などの模型を作っているドイツ軍マニアなので、ナチスドイツ軍に関するブログ記事を他にも書いてます。さらに、ドイツで10試合ほどブンデスリーガの試合を観戦していて、ドイツサッカーが好きな方に対して色々と興味深いブログ記事を書いているので、できれば他の記事も読んでみてください。ブログ記事の感想のコメントを書いてもらうと嬉しいです。ドイツ語の勉強方法、ホームステイした時の体験談も書いてます。

 

 

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