Deutschland-Lab

歴史や文化、スポーツなどドイツに関する情報まとめサイト

元ナチスドイツ軍戦車兵のおじいさんと会話をした

f:id:novaluewriter:20200811135610j:plain

ロンメル元帥のお墓がある教会でドイツ人のおじいさんに会った時に、「あなたは第二次大戦でドイツ兵だったのですか?」と質問をしたら「そうだよ」と答えたので、気分を害さないように戦争の体験談を教えてもらった。

 

 

ブログを書き始めた頃にドイツのムンスター戦車博物館で、元ドイツ軍戦車兵だったおじいさんと話をしたことを書きましたが、今日もそのような元ドイツ兵のお年寄りと会話をした話を書こうと思います。


1997年9月にドイツを一人旅した時に、ウルム郊外のヘルリンゲンという小さな町にあるロンメル元帥のお墓を訪れた時けど、お墓がある教会までは駅からタクシーで行ったから着くことが出来たのだが、けっこう広い教会の敷地内中のどこにロンメル元帥のお墓があるのかわからず、ちょっと迷ってしまった。

それで、教会の中を歩いていると一人のおじいさんが僕の数メートル前を歩いていた。それで、そのおじいさんに走って追いついてロンメル元帥のお墓がどこにあるのかを教えてもらった。

さらに、「おじいさんだから第二次世界大戦中はドイツ兵だったかもしれない」と思って、まだドイツ語の勉強を始めてから1年ほどだからあまりよくしゃべれなかったけど、自分の自己紹介をしてから、
「僕は第二次世界大戦のドイツ軍の電撃戦の歴史を調べてるのですが、あなたはドイツ兵だったのですか?」
とそのおじいさんに質問してみた。ここで強調したのは「ナチスドイツの戦争犯罪を調べてるのではなくて、第二次大戦で同盟国だったドイツ人がどのように戦ったのかを調べてる」ということである。

おじいさんの答えは、

「そうだよ。ドイツ兵だったよ。ドイツ陸軍の戦車兵だったんだよ」
というものだった。そこで僕は僕の知り合いのドイツ軍研究家の方も記事を執筆していた、学研の歴史群像の「ヒトラーと第二次世界大戦」という本を見せて、
「ここにドイツ軍戦車のイラストとデータがあるんですが、どの戦車に乗っていたんですか?」
と続けて質問した。
「Ⅳ号戦車F2型に乗っていたんだよ。わしは軍曹で戦車長をしていて、北アフリカで戦ったんだ。5人部下がいた。ロンメル元帥にも会って話をしたことがあるんだよ」
「えっ、ロンメル元帥に会ったことが会って話をしたことがあるんですか?それは閲兵とかの時ですか?」
「そう。元帥がチュニジアで閲兵をした時に話をしたんだ」
それで、おじいさんにメモ帳を渡すと、
「シュツットガルト第10機甲師団。Ⅳ号F2型戦車」というふうに書いてくれて、さらに、G・R(ファースト名と家族名のイニシャル)というふうに名前と住所まで書いてくれた。
「第10機甲師団ということは、チュニジアのカセリーヌ峠でアメリカ軍と戦ったのですか?」
「そうだね」

「エジプトのエル・アラメイン、リビアのトブルクでは戦わなかったのですか?」

「エル・アラメイン、トブルクには行ってないよ」

僕の方も、
「僕の家族でも、母方の祖父が第二次世界大戦中に中国戦線で病気にかかって、その後に病院で死亡しました」
と教えるとおじいさんは、「死亡」という言葉を聞き返した。おじいさんは自分の家族のお墓の周りをシャベルで掘って作業をしていたが、作業を止めると、
「君、日本円の硬貨を持っていないかな?お土産で日本の硬貨が欲しいんんだよ」
と言ってきた。でも、日本円の硬貨は使わないからホテルの部屋に置いてきたことを伝えると、おじいさんはガッカリしていた。

 

 

戦後75年経った今では、元ドイツ兵のおじさんに会って第二次大戦の体験談を聞ける可能性は低い。それに元ドイツ兵の中には戦争の話をしたくない人もいるので、無理強いはするべきではない。


その後、おじいさんには話を聞かせてもらったお礼を言って別れて、もちろん、ロンメル元帥のお墓に行った。日本に帰ってきてから、知り合いのドイツ軍研究家が運営しているドイツ軍マニアが集まる掲示板などで他のドイツ軍マニアの方々と交流したけど、その時にある研究家の方から、「あまりむやみやたらに、ドイツ人のお年寄りに第二次世界大戦の話をするのは失礼だと思いますよ」と注意されたことがあった。もちろん、僕もそれはよくわかっていて、「向こうから日本人と話をしたいというお年寄りか、こちらから丁寧にドイツ語で自己紹介をして、それで話をしたいお年寄りとは話をしますが、何も話したくない方には無理に頼んだことはありません」と掲示板で返信をした。それでも、僕の態度は失礼だったかもしれないけど、あまり嫌な顔をしたドイツ人のお年寄りはいなかった。

 

残念ながら、戦後75年も経った2020年という今、ドイツ、オーストリアなどのかつてのドイツ第三帝国に行っても、ナチスドイツの話をしてくれる年寄りはほとんどいない。だいたい、2000年代後半がラストチャンスだったと思う。今はナチスドイツが降伏した時に既に成人していてドイツ兵だった方々は、既にお亡くなりか、生きていても100歳近いので、あまりドイツの街中を元気に歩いていることは少ない。でも、若い方々でも第二次大戦で日本とドイツが同盟していたことを知ってる人はかなりいるので、そういう方々が微笑んで話しかけてくることはあるだろう。

 

 

僕が会話をしたG・Rさんはチュニジア戦線では貴重な存在だったⅣ号長砲身戦車を任された方で、 その後、彼が所属していたシュツットガルト第10機甲師団は、チュニジアで連合軍に降伏した後は再編されてないということが、他のドイツ軍マニアからの情報でわかった。

 

写真上と下は、ロンメル元帥のお墓がある教会で会話をしたおじいさん(G・Rさん)が戦車長をしていた、Ⅳ号F2型にとてもよく似ているⅣ号G型中戦車。上の写真が全体を撮影したもので、下は後部のマフラーを撮影したもの。ムンスター戦車博物館の係員の話によると、この戦車は走行可能だがモーターは戦後のレオパルド戦車のものを使用してるという。両方ともムンスター戦車博物館で撮影した。この戦車はアフリカのチュニジア戦線で燃料切れで放棄されていたものをイギリス軍が捕獲してレストアしたものであり、ドイツのムンスター戦車博物館に展示されている。知り合いのドイツ軍マニアから教えてもらった情報だと、長砲身75ミリ砲を備えたⅣ号F2型とG型戦車は20両ほどしかチュニジア戦線には投入されていなかったので、G・Rさんの戦車はかなり貴重な戦力だったといえる。また、G・Rさんが所属していた第10機甲師団はチュニジアで連合軍に降伏して全滅した後は再編成されなかったので、恐らくチュニジアで捕虜になった後は、ドイツが連合軍の爆撃と地上戦で焼け野原になったのを経験しなかっただろうということも、ドイツ軍に詳しい方が教えてくれた。

 

写真の一番下はウルム郊外のヘルリンゲンにあるロンメル元帥のお墓の入り口。ロンメル元帥のお墓に行った時のことは、既に他のブログ記事で書いたのでここでは割愛する。

 

 

最後に僕のブログを訪れてくれてありがとうございます。子供の頃からティガー戦車、メッサーシュミット戦闘機などの模型を作っているドイツ軍マニアなので、ナチスドイツ軍に関するブログ記事を他にも書いてます。さらに、ドイツで10試合ほどブンデスリーガの試合を観戦していて、ドイツサッカーが好きな方に対して色々と興味深いブログ記事を書いているので、できれば他の記事も読んでみてください。ブログ記事の感想のコメントを書いてもらうと嬉しいです。ドイツ語の勉強方法、ホームステイした時の体験談も書いてます。

 

 

f:id:novaluewriter:20200811135930j:plain





f:id:novaluewriter:20200811135801j:plain