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ヒトラーの演説と政治の才能には彼自身も気づいていなかった??

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ヒトラーは日本の学校でいうと中学校しか卒業していない劣等生であり、政治経済については専門に学校で学んでいない。

 

ヒトラーの台頭については大きな疑問がある。僕は子供の頃からナチスドイツ軍の戦車の模型を作っているから、もちろんヒトラーとナチスドイツについては詳しいけれど、それでもどうしても疑問に思うことがある。それはヒトラーの学歴と彼の政治家としての才能についてである。

 

ヒトラーの学歴については、ヒトラーのウィキペディアの説明から引用。

1901年、田舎の小学校で学んでいたヒトラーは都会の授業についていけず、リンツ実科中等学校一年生の時に必修の数学と博物学の試験に不合格となり、留年となった[51]。1902年には二年生に進級したが、学年末にまたもや数学の試験を落として再試験を受けて辛うじて三年生に進級した[51]。1903年1月3日、14歳の時に父アロイスが65歳(数え年)で病没する。地元の名士だった父の死は地方新聞の記事になっており、料理店で食事中に脳卒中で倒れて死亡したという[47]。しかし憎む対象を失った後もヒトラーの問題行動は収まらず、成績も悪化を続けた。同年には外国語(フランス語)の試験に不合格となって2度目の留年処分を受け、扱い兼ねた学校からは四年生への進級を認めて貰う代わりに退学を命じられる有様だった[51]。

退学後、リンツ近郊にあったシュタイアー市の実科中等学校の四年生に復学したが、前期試験で国語と数学、後期試験では幾何学で不合格となった。私生活でも下宿生活を送る中、学友と酒場に繰り出して酔った勢いに任せて在学証明証を引き裂くなどの乱行を行い、教師達から大目玉を食らっている[30]。結局、1905年には試験や授業を受けなくなり[52][要文献特定詳細情報]、病気療養を理由に2度目の学校も退校している[53]。

ヒトラーにとって唯一正式に教育を終えたのは先述の小学校のみであり、息子の学業に望みを持っていた父と結果として同じ経歴となった。

 

ja.wikipedia.org



ウイキペディアの説明によるとヒトラーが満足に卒業できたのは小学校だけとなっており、日本と当時のオーストリア(ヒトラーが学生だった頃はオーストリア人だった)の学校制度が違うことから、ヒトラーは取り合えずオーストリアの義務教育しか終了できなかったことになる。今の日本のネット用語でいうと、「中卒乙」などと他人から罵られるほどの劣等生だったことになる。

 

ヒトラーはたったの4年間ほどの政治活動だけで、政党の党首としてミュンヘン一揆を起こせるほどの大物政治家になった。

 

さらに、ヒトラーについてのウィキペディアの説明を読んでいくと、ヒトラーが政治活動に身を投じたのは第一次世界大戦後にドイツ陸軍情報部というような部署に配置され、ドイツ労働者党という左翼政党の偵察を上官から命じられて私服で党の集会に行き、そこで演説を何度かしてみたらすごく演説が上手だったので、労働者党の幹部たちから褒められて評価されたのが政治活動の始まりとなっている。

「君、我が党の幹部になって演説と宣伝活動をしてにないか?君は演説が上手なので政治家の素質がある」と労働者党の幹部たちから厚遇するから入党してくれと頼まれて、それで軍を辞めて入党して政治活動を始めて、ドイツ労働者党を数か月後にはドイツ国家社会主義労働者党といういわゆるナチス党に変えることとなった。そして、ヒトラーはこのナチス党の党首にアッと言う間になった。

ヒトラーがドイツ労働者党集会に初めて行ったのが1919年7月であり、ヒトラーの下に第一次世界大戦の英雄のルーデンドルフ大将、ドイツ空軍のエリート部隊だったリヒトホーフェン部隊の最後の隊長であったゲーリング、エルンスト・レーム陸軍大尉などが集まって、ミュンヘン一揆が行われたのが1923年11月始め。たったの4年数か月でヒトラーはミュンヘンで一揆を起こして、そしてそれが成功すればベルリンまで進軍してムッソリーニのローマ進軍の時のように、力ずくでドイツ国のトップになろうと計画するにまで至った。

そこで疑問なのだが、今の日本でいうと中卒の学歴しかないヒトラーをどうしてこんなに多くの有名人たち、第一次世界大戦の英雄、国立大学教授までもが信頼してヒトラーと行動を共にしようと思ったのだろうか?中卒のヒトラーに生まれつき演説と政治学の天才的な才能があったしたら、ドイツの名門大学であるフンボルト大学、ゲッティンゲン大学などの政治学科とは一体何なのだろうか?ドイツの名門国立大学政治学科を苦学して卒業をした人たちが、ヒトラーという中卒の独裁者の部下に喜んでなったというのは何とも滑稽としか思えない。

 

ヒトラーは総統になった時に自分を評価しなかった学校教育を厳しく批判して、新たに「ヒトラーユーゲント」を創設して若者にそこで活動するように推奨した。

 

ヒトラー自身は総統になった後に、自分の才能を認めて評価してくれなかった第一次世界大戦前のガチガチの画一的なオーストリアとドイツの学校教育のことを、厳しく批判した。それで「ヒトラーユーゲント」を創立して、若者は公立学校だけでなくてここでも活動をして国家社会主義(ナチズム)を習うように推奨しており、事実、多くのドイツの若者は男はヒトラー・ユーゲント、女はBDM(ドイツ少女連盟)に入って活動している。

やはり、どんなに大学、大学院で苦学をして学んだ者でも、ヒトラーのような天性の演説の才能がありカリスマがある人物にはかなわないのだろうか?大学院卒で博士号を持っていた高学歴のゲッベスルもヒトラーに会った時に、「彼は天才でカリスマに溢れている。実に素晴らしい人物だ」と日記に書いている。まあ、日本でも田中角栄という中卒の土木建築会社の社長に、東大卒の国会議員たちが頭が上がらなかったというのだから、天性のカリスマと人間力がある人間には、洋の東西を問わずどんなに学歴を積んでもかなわないのだろうけど。(苦笑)

 

 

ヒトラーの時代はまだ高度情報化社会でなかったので、都合の悪い自分の過去を修正することが出来た。


しかし、一つ当時のヒトラーが出来た一つのごまかしとして、父が亡くなった1905年から第一次世界大戦が始まってドイツ兵となるまでの約10年間は、ヒトラーはオーストリアのリンツ、ウィーン、ドイツのミュンヘンで放蕩生活(今でいうとニート)を送ったのだが、その時代は「我が闘争」の中では「ウィーンの美術学校で絵画の勉強をしていた」などという嘘が書いてあり、放蕩生活を送っていたという事実は消されている。今ならネット時代だからこのように自分の過去を捏造することは出来ないが、当時はまだ情報が少なかったので、不都合な過去は修正することが出来たのである。

 

また、日本の場合は履歴書などに自分の過去を書く時に学歴、職歴などに嘘を書くと「公文書偽造」ということですぐに問題になるが、欧米の場合は過去の経歴はそんなに問題でなくて、就職した職場できちんと仕事をしていればそれでOKとされるケースも多いらしい。さらに、今の日本の弁護士の見解でも「職場できちんと仕事をしていれば、過去の経歴は問題ではない」という欧米流の判断をする人も増えてるらしい。なぜなら、こういう判断にしないと「再チャレンジ」が叫ばれてる時代なのに、再チャレンジの機会すら失われるからである。

 

 

写真上はヒトラーのイラストで、写真下はドイツのバイエルン州にあるランツベルクの刑務所。1923年にミュンヘン一揆が失敗して捕まったヒトラーは翌年にこの刑務所に入れられたが、その待遇はかなり自由でナチス党に指示を出すことも出来て、また、この刑務所に収監されていた時に「我が闘争」を執筆している。この写真は僕が2015年5月に現地で撮影した。

 

 

最後に僕のブログを訪れてくれてありがとうございます。子供の頃からティガー戦車、メッサーシュミット戦闘機などの模型を作っているドイツ軍マニアなので、ナチスドイツ軍に関するブログ記事を他にも書いてます。さらに、ドイツで10試合ほどブンデスリーガの試合を観戦していて、ドイツサッカーが好きな方に対して色々と興味深いブログ記事を書いているので、できれば他の記事も読んでみてください。ブログ記事の感想のコメントを書いてもらうと嬉しいです。ドイツ語の勉強方法、ホームステイした時の体験談も書いてます。

 

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