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【ブンデスリーガに熱狂】サッカーの話題になると人が変わるドイツ人

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ドイツ人というと、どういうイメージがあるだろうか?恐らく二度の世界大戦の原因がドイツが原因という事実から、軍隊とか質実剛健とかお堅いイメージがあるだろう。また、クラシック音楽、ゲーテの文学、ドイツ哲学などのイメージから真面目、インテリというイメージもあるかもしれない。車が好きな人はドイツのベンツ、ポルシェ、BMWのような300万円以上はする高級車を連想する人もいるだろう。

 

しかし、サッカーの話題に関してはドイツ人はとても熱しやすくて、また、面白いエピソードがよくあったりする。そこで僕がドイツでサッカースタジアムに行った時などに体験した、楽しい出来事を紹介しようと思う。

 

 

2005年の8月にハンブルクのスタジアムに、当時、高原直泰が所属するHSV(ハンブルグスポーツ協会の意味)のシーズン開幕試合を観戦に行った。試合は3-0でHSVが勝ったが、その帰りにHSVのマフラーを首に巻いてハンブルク駅で電車に座って発車を待っていると、HSVのサポーターが数人乗ってきて、「おお、高原がいる!ゴールを決めてくれ、頼んだぞ!」と言って僕に握手を求めてきた。当然、僕は[Nein,Ich bin kein Takahara]「違う、僕は高原じゃないよ」と言ったけど、数人のサポたちは僕と握手をして嵐のように去っていった。

 

その試合の前に、6月末からシュツットガルトから北西に約50キロほど行った町に住むドイツ人の友達の家に滞在していたのだが、ネットで調べてみると近所にHSVのホームページに登録したサポーターの家族がいたので、その家族と連絡を取って友達の家族の家で会うことにした。HSVサポの家族が到着すると、信じられないほどに熱狂的なファンだった。50歳くらいの父と10代後半の息子の親子だったが、着ている服はHSVブランドのジャケットであり、車の中もHSVのアクセサリーだらけだった。子供は男の子が2人だったが、名前はケビンとマンフレートだった。お父さんは「2人の名前はHSVの全盛期に活躍したドイツ人のマンフレート・カルツとイングランド人のケビン・キーガンから名付けたんだ」と教えてくれた。HSVの全盛期は1980年代前半であり、この時期にチャンピオンズカップ(今のチャンピオンズリーグ)で優勝をしてヨーロッパ王者になったことまである。

 

でも、シュツットガルトの近くの町だったから、「この辺はVfBシュツットガルトのサポが多いから、HSVのサポは少ないと思いますが」と僕が言うと、お父さんは「そんなことはないよ。この辺はHSVのサポだらけだよ。たまにシュツットガルトファンという間違ったチームを応援している人にも会うけど、彼らは少数派だよ」と言っていた。僕は何も言わなかったが、「それは、あなたたちがHSVのサポだけを選んで付き合ってるからそうなんでしょ?」と思った。日本にも狂信的な浦和レッズのサポとかいるけど、地図を見ればわかるけどシュツットガルトでHSVを応援するのは、日本に例えると大阪で浦和レッズを応援するようなものなので、さぞ大変なんだろうなとも思った。(笑)

 

 

それ以外に面白かったのは、やはり、香川が2010年にドルトムンドで大成功した後に、ドイツでドルトムントのジャケット、レプリカユニなどを着て歩いていると、色んな楽しいことがあった。

 

2015年の5月中旬だから、ブンデスリーガのシーズンも終わりの頃に、ドルトムンドの黄色と黒のジャケットを着て戦車博物館があるムンスターに行った。途中のユエルツェンという駅で電車を乗り換えようとしてベンチに座っていると、ドルトムントからユエルツェンは100キロ以上離れているのに、そこでドルトムントのジャケットを着た日本人の僕を見て、「カガワ~、シンジ~」という香川のチャンテを歌い出した若者がいた。子供の1人がニコニコ笑って近づいてきて、「カガワみたいだ」と言った。「そんなに似てるかな?日本人はみんなカガワではないんだよ」と僕は言った。それで、子供には「香川真司」とメモ帳に日本語で書いて、それをちぎって渡した。子供は喜んでいた。

 

それから数日後に、ハンブルクのミニチュアワンダーランドという世界最大の鉄道模型テーマパークがあるので、そこにもドルトムントのジャケットを着て行って近くの喫茶店でコーヒーを飲んでいたら、隣に座った30代のドイツ人男性がウエイターに「次の土曜日に試合があるのに、香川がこんなところにいるな。なんでいるんだろう?」と質問をしていた。「そうだな。不思議だな。彼はドイツ語がわかるかもしれないから、質問してみたら?」とウエイターは答えていた。僕はその2人の会話がわかっていたが、ドイツ語で何か言うのも面倒だったので無視した。(苦笑)

 

デュッセルドルフ中央駅で円をユーロに交換した時にも、ドルトムントのジャケットとドルトムントのレプリカユニを着ていたら応対した黒人の職員が、「ドルトムントに日本人の選手がいたな。香川といったな」と笑って応対してくれた。他の職員も「香川みたいだな」と笑って言っていた。僕も笑いながら、[Nein, ich bin kein Kagawa.]「違うよ、私は香川ではないよ」と笑って答えた。

 

 

ここまでは主にドイツで香川と呼ばれたことだったが、違うケースもあった。2012年の9月にニュルンベルクで、当時、清武が所属していたニュルンベルク対乾が所属していたフランクフルトの試合を見た。試合は乾が僕の目の前で、見事なドリブルから切り込んだゴールを決めて、2-0でフランクフルトが勝った。それで、僕の座っていたシートの周りにはフランクフルトのサポが多かったので、乾がゴールを決めた直後に隣に座っていたドイツ人カップルの男の方に、「乾貴士」と日本語で書いたメモ帳を渡した。試合後、ニュルンベルクの地下鉄駅のプラットホームを歩いてると、高校生と思われる男女4人がいて、男の子が「ここに、キヨタケがいる」と言ったので、「違うよ、僕は清武じゃないよ。でも、僕はドイツ語がしゃべれるから清武と日本語で書いたメモ帳をあげるよ」と言って、メモ帳に「清武弘嗣」と書いてそれをちぎって渡した。4人はニコニコ笑って、僕が渡したメモ帳を見ていた。

 

 

ここまでは、「香川真司」「清武弘嗣」などと日本語で書いたメモ帳を書いて渡せば、フレンドリーに交流できるというエピソードだが、けっこうシビアなことを言うドイツ人のサッカーファンもいた。そのエピソードを紹介しよう。

 

2015年のドイツ杯の決勝、ドルトムント対ヴォルフスブルク戦をパブリックビューイングで見た時に、試合は香川が先制ゴールを決めたのに残念ながらドルトムントが負けてしまった。それで、試合後にトイレに行ったらドルトムントファンがたくさんいて、そのうちの2人が、「日本人のドルトムントファンか。でも、どうせ、ドルトムントファンになったのは、香川がドルトムントに移籍してきた2010年シーズン以後だろ?」と質問してきた。僕はドルトムントはNHKの衛星第1放送で放送をしていた1995年頃から知っているので、「そんなことはないよ。メラー、ザマー、コーラーとかがいて、1997年にヨーロッパ王者になった頃から知ってるよ」というと、その2人のドルトムントファンは驚いていた。それで、その2人とちょっと濃いドルトムントの話をして、もっと話をしたかったのだが時間が既に午後11時を過ぎていて、電車がなくなりそうだったので、別れざるを得なかった。でも、たまに彼らのようなドイツのサッカーファンから、濃いドイツサッカーに関する話題を振られることもあった。まあ、どんな濃いドイツサッカーの話をドイツ人から振られても、僕はナチスドイツ時代の頃からのドイツサッカーを知っているから、答えられる自信はある。(笑)

 

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