ドイツの歴史
ベルリン中央駅の近くにあるインヴァリデン墓地には多くのプロイセン時代からのドイツ軍人のお墓がある。しかし、ナチスドイツ時代に立てられたナチス色が強い軍人、政治家のお墓は、戦後に連合国によって撤去された。ネオナチの聖地になることを恐れたから…
ベルリン中央駅の近くにあるインヴァリデン墓地には多くのプロイセン時代からのドイツ軍人のお墓がある。しかし、ナチスドイツ時代に立てられたナチス色が強い軍人、政治家のお墓は、戦後に連合国によって撤去された。ネオナチの聖地になることを恐れたから…
僕は今までにドイツの軍事博物館、ナチスドイツに関係のある場所を多く訪れて、多くのドイツ人と第二次大戦について話をしたが、若い女性が第二次大戦の話を嫌うのは、日本もドイツも同じである。一方である程度年をとっていて、第二次大戦の経験があるか、…
日本は残念ながらアメリカ追従の国であるが、果たしてこの地球上にアメリカと戦争をして勝てる国などあるのだろうか?第二次世界大戦が始まる前に日本海軍の賢い提督たちは、「米英と戦争をしても勝てない」と言っていたが、彼らはそんなに米英が好きだった…
日本語がしゃべれるキリスト教神父の夫妻と、会話をしたことがある。2人ともアメリカ国籍だが、神父さんはデンマーク生まれで、妻はノルウェー生まれだった。それで僕が、「ドイツに旅行した時にドイツの海軍記念館に行って、そこには1940年4月のノルウェー…
1945年2月13日から15日にかけて、イギリス空軍によるドレスデン空襲が行われて、約2万5千人の市民が亡くなった。広島長崎への原爆投下に並ぶ、連合軍による戦争犯罪の一つと言われている。 しかし、ドレスデン平和式典では、式典のすぐ外で左翼団体と右翼団…
[Hitler's Jewish Soldiers](ヒトラーのユダヤ人兵士達)という洋書があり、その本には「ヒトラーのために戦ったユダヤ系の人たちが少なくとも15万人いた」と書いてある。これは、ユダヤ系ドイツ人全員を収容所送りにして迫害すると、ドイツの政府、軍、企…
ホロコーストそのものを否定するのはタブーだけど、ホロコースト映画が多すぎると批判するのは、決してタブーではない。世界史上には多くの悲劇があるのに、ホロコーストへの注目度は異常なほどに高すぎるのではないだろうか?ユダヤ人の学者であるフィンケ…
「ナチス大虐殺・炎628」という、1943年3月にベラルーシで起こった虐殺事件を描いた映画がある。ナチスドイツ親衛隊による戦争犯罪を明細に描いた映画として、けっこう映画マニアと軍事マニアの間では有名だが、この映画はソ連政府(当時)によるプロパガン…
ドイツ南東部のドイツアルプス山中にある、ヒトラーの山荘があったベルヒテスガーデンについて記事を書く。ヒトラーの山荘だったベルグホーフは、ネオナチなどの聖地になることを恐れて、今では何の案内板もなくて見つけづらい。一方で、ナチスドイツ時代の…
ドイツ南東部のニュルンベルク市は旧市街が世界遺産に登録されているが、市の南東部にあるツェッペリン広場では、ナチスドイツ時代はナチス党大会が行われていた。ここには今では、ナチス時代の恐怖政治を伝える博物館がある。しかし、広大な敷地のほとんど…
1945年3月にアメリカ軍がライン川を渡った「レマゲンの奇跡」で有名なレマゲン鉄橋を、2012年10月に訪れてきた。橋はアメリカ軍の主力が渡った後に崩れて、今では橋の袂の廃墟しか残っておらず、西側の袂の廃墟が「レマゲン平和博物館」になって…
ポーランドのケントシンにある、ヴォルフスシャンツェ(”狼の巣”という意味のヒトラー総統大本営)の跡地を写真と共に紹介する。映画「ワルキューレ」でトム・クルーズが演ずるシュタウフェンベルク大佐が、ヒトラー暗殺のために爆弾を爆発させた跡地が、ヴ…
ポーランドのケントシンにある、ヴォルフスシャンツェ(”狼の巣”という意味のヒトラー総統大本営)の跡地を写真と共に紹介する。映画「ワルキューレ」でトム・クルーズが演ずるシュタウフェンベルク大佐が、ヒトラー暗殺のために爆弾を爆発させた跡地が、ヴ…
日本は12月8日に真珠湾攻撃を行って第二次世界大戦に参戦して、米英などの連合軍と戦って負けた。そこで、もしも日本が米英と開戦せずに、ナチスドイツと共にソ連を攻撃した方がマシだったのはないかと考えてみる。もちろん、この「IF」は仮想戦記並み…
司馬遼太郎が書いた有名な歴史小説「坂の上の雲」では、日露戦争で秋山兄弟を英雄として持ち上げる一方で、乃木大将を無能な将軍と描写して貶しているが、果たして乃木大将と彼の参謀は本当に無能だったのだろうか?「坂の上の雲」での司馬による乃木の描写…
ドイツ国歌と日本国歌は第二次世界大戦に負けた国の国歌なので、戦後に他国からクレームがついた。ドイツでは「ドイツの歌」の1番から3番に、国歌を変えることになった。その理由は、このブログ記事に書いてある。一方で日本は連合国から国歌を変えるように…
僕は2007年7月にポーランドに旅行をしたけど、その時の感想を書いてみた。ポーランドは日本とドイツのように第二次大戦で侵略した国とは逆で、ヒトラーのドイツとスターリンのソ連によって侵略をされた可哀そうな国である。ポーランドが本当の独立と自由を手…
1939年9月にナチスドイツ軍がポーランドに侵攻した時に、グダンスクのポーランド郵便局で、ドイツ軍と郵便局員との間で激しい戦いがあった。この戦いの様子は、有名な西ドイツ映画「ブリキの太鼓」に詳しく描かれている。その戦いがあった郵便局を、2007年7…
2007年7月にポーランド北部にある都市グダンスクを訪れた。ここは、現代史に詳しい人ならすぐにわかると思うが、第二次世界大戦が始まった場所として有名である。最初の戦闘が始まったグダンスク北部のヴェステルプラッテ要塞の跡地には、記念塔、記念碑、破…
イタリア・ソ連合作の映画「ひまわり」はとても人気のある悲しい恋愛映画だが、この映画はドイツでは全くヒットしなかった。理由は戦後のスターリンのソ連政府によるドイツ人への仕打ちがとても厳しくて、「旧枢軸国の捕虜とロシア人女性が、幸せな結婚生活…
ヒトラーのナチスドイツと軍事同盟を結んで、第二次大戦に日本が枢軸国側で参戦するのを阻止する方法はなかったのか?極めて難しい課題だが、加藤友三郎、山本権兵衛を草分けとする海軍条約派の提督たちの言う通りにしていれば、ナチスドイツとの軍事同盟、…
僕が5年ほど前にネットで知った、日本とポーランドの関係の驚くべき事実がある。それは、「ポーランド建国の父」と言われているユゼフ・ピウツスキの子孫が、日本で日本人として生活していることである。この事実は、日本に興味のあるポーランド人なら誰でも…
2005年7月にヒトラーの山荘があったベルヒテスガーデンに行った時に、「ヒトラーには隠し子がいたのです」と教えてくれた現地のホテルのオーナーがいた。その方は既に高齢のおばあさんだったが、若かった頃にベルヒテスガーデンでナチス幹部と何度も会って話…
ドイツ南西部にあるニュルンベルク市はニュルンベルク裁判が行われた街として有名だが、ニュルンベルク裁判が行われた裁判所は今でも保存されてあり、誰でも見学することが出来る。裁判所の建物は今でも簡易裁判所として使われている、けっこう小さな建物だ…
映画「遠すぎた橋」の舞台となった、アルンヘムの街を訪問した時のことについて書いたパート2。このブログ記事では、戦争中の英第1空挺師団の司令部の建物をそのまま使用している、「空挺博物館」を訪れた時の様子について書いている。「空挺博物館」を訪れ…
有名な戦争映画「遠すぎた橋」の舞台となったアルンヘムに行った時の話について、ブログ記事に書いた。「遠すぎた橋」を見たことのある方は是非読んでみてください。ただし、やはり、「解放軍」だった連合軍関係の展示物が圧倒的に多かったです。
1981年に日本で封切られたサッカー・戦争映画の「勝利への脱出」というハリウッド映画について説明する。第二次大戦中にフランスのパリで、連合軍捕虜とドイツ軍のサッカーチームが試合をしたというフィクションの話だが、この試合にはモデルとなった試合が…
このブログ記事では2006年7月に、エーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥のお墓を訪れた時のことについて執筆する。マンシュタイン元帥のお墓はドルフマルクというドイツ北部の小さな町にあるので、英語とドイツ儀のサイトをよく見て、十分に下調べをしない…