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多くのドイツ軍人が眠るベルリンのインヴァリデン墓地(2)

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インヴァリデン墓地でも特にドイツ軍マニアが注目するべきは、ドイツ空軍の「撃墜王」だったメルダース空軍大佐のお墓だろう。

 

 

前のブログに続いてこのブログでも、ベルリンのインヴァリデン墓地に眠るドイツ軍人を紹介する。

 

上の写真はドイツ空軍のエースパイロットで戦闘機隊総監でもあったヴェルナー・メルダース大佐のお墓である。メルダースは第二次世界大戦初期に大活躍して、1941年7月ンは早くも史上初の100機撃墜を果たした。しかし、その後は戦死を恐れたドイツ空軍幹部によって、大佐に昇進させられて戦闘機隊総監に任命されて第一線からは退いた。その後、後述するウーデット将軍が自殺した後の国葬に向かうために飛行機で移動中に、乗機が墜落して1941年11月に事故死した。

 

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メルダース大佐はウーデット将軍の国葬に向かう際に事故死したので、ウーデット将軍のお墓と背中合わせに建てられている。

 

上の写真はエルンスト・ウーデット将軍のお墓である。ウーデットは第一次世界大戦で65機を撃墜して撃墜王となり、また、ヘルマン・ゲーリングの戦友となった。第一次世界大戦後からナチスドイツが誕生するまでは、曲芸飛行士として働いたり、映画にパイロットとして出演していた。ロバート・レッドフォードが主演する映画「華麗なるヒコーキ野郎」に登場する凄腕のドイツ人パイロットは、彼がモデルだとされている。

 

1934年に戦友のゲーリングに頼まれてナチス党に入党してドイツ空軍の仕事を行うようになり、航空機総監に任命された。しかし、次第に空軍次官ミルヒとの関係が悪化して、また、航空機生産の知識はあまりないのに自分に向かない仕事を任せられたことで、戦友のゲーリングからも罵倒されるようになって次第に精神状態が不安定になった。1941年11月にウーデットの精神状態は限界となって自殺をした。ナチス党は新型航空機開発中の「事故死」と発表した。

 

ウーデットとメルダースのお墓が背合わせで建てられているのは、ウーデットの国葬に向かう途中にメルダースが事故死したからである。

 

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フリッチュ将軍はヒトラーの戦争計画に反対したので、ドイツ国防軍司令官の職からでっち上げのスキャンダルで追放された。その後、第二次世界大戦が起こるとポーラン作戦で戦死した。ナチス政権早期からの反ヒトラー派の将軍だったので、今では名誉回復されている。

 

上の写真はヴェルナー・フォン・フリッチュ将軍のお墓である。フリッチュは1933年にヒトラーが政権を掌握すると、1935年6月に国防軍総司令官に任命された。しかし、ヒトラーから1937年11月に侵略戦争計画を告げられると、ブロンベルク国防大臣と共に「時期尚早」と言って反対した。その後、でっち上げの同性愛(ナチスドイツでは非合法だった)の疑いをかけられて、罷免に追い込まれた。このスキャンダルはヒトラーのナチス政権をよく思っていなかったフリッチュを、軍の要職から外すために行われたと言われている。

 

第二次世界大戦が始まると極めて異例なことに、ポーランド侵攻作戦に砲兵連隊の名誉連隊長として従軍した。そして、9月22日にワルシャワ付近の戦闘で戦死した。手当てをすれば治る負傷だったが、戦死を望んだフリッチュは治療行為を止めさせて戦死した。このようにナチスを嫌っており、シュタウフェンベルク大佐などが反ヒトラー活動を起こす数年前である、早期からの反ヒトラー派将軍だったので、戦後は名誉が回復されて、今のドイツ連邦軍兵舎には彼の名前を冠したものが何か所かある。

 

 

インヴァリデン墓地のベルリン市内の場所については、前のブログ記事に書きました。それを参照してください。